2010年2月23日火曜日

IMAXシアター

2010年01月25日の伊集院光 の深夜の馬鹿力を聞いていたら
      クリックするとその時のラジオがmp3で ダウンロードできますのでよろしければ聞いてみてください
アバターヒエラルキーなるものがあるそうで アイマックスシアターで見るアバターが本当のアバターで それ以外では見た意味がないとまで言われているらしく

日本国内では現在3D上映方式が四つあるそうでそれをすべて見て感想を書かれている方がいまして「そもそもアバター自体がIMAX3D上映を前提に撮影されて“IMAX3D以外の3方式はごみ”」とまで書かれていまして
これは見に行くしかないと思い行きました。


川崎に来るのは2008年の夏に東芝科学館に来た時ぶりです。
3-D(立体)映画を見るのは小学3年生の時に見たジョーズ3以来26年ぶりで当時、ぺらっぺらな紙とセロハンでできた偏向レンズで、かけても全然飛び出して見えなくてガッカリした思い出があります。
アイマックスデジタルシアターは日本では109シネマズの川崎・菖蒲・箕面・名古屋の4館だけにしか現状はありません。


映画館ロビーにハーゲンダッツが出店してるのもシネコンでは109シネマズだけです。



エグゼクティブシートは会員になると今年の三月からネットで予約できるようになります。




映画の内容は昔の岡田斗司夫が言っていたハリウッド映画黄金比率どおりのコテコテの王道で、伊集院さんもストーリーは別段面白くなかったと言っていましたが、この新しい映像表現の凄さ美しさを表現する上で全て必然な世界観ストーリーだと私は思ったので頭の良い人は違うなと、世界的な映画監督ってやっぱり凄いなと思います。


ショック死した人がいるというのもIMAX3D版アバターならあり得るなと納得するほど私も驚かせてもらいました。


雰囲気を楽しむ映画は別ですが、ヒアリングが出来ない人にとっては娯楽映画であるハリウッド映画を見るのなら、内容をはしょって書かかざるをえない字幕番をカッコつけて見るより、プロの声優さんの日本語吹き替えで見るのが映画を真に楽しむ一番の方法だと昔誰かに教わたので実践しているのですが、今回映画の内容云々より興味深いことは、この映画、年齢制限もなく、吹き替え版を見たので結構お子様も見に来ていたのですが、こんな凄い映像をこんな小さい内に見ていることに驚きました。 自分が同い年位の時なんてCMでちょっとCGが使われているだけで世間で話題になり、今見ると信じられない位ちゃっちいグラにもかかわらず数秒作るのに何憶もかかるのがデフォでしかなかった残念な幼少期を過ごした身にとって、よく私も親に今の子供が羨ましい羨ましいと言われたものですが、こっちの方が劣情的に今の子供の方が羨ましくて妬んでしまうトロン世代です、、、。
2005年のアド街では一位だった日本初のシネコンラ・チッタ・デッラ、ラゾーナ川崎が出来てからはなんとなく映画産業 が衰退している理由だけではなく哀愁が漂っているように感じました。

≪後日追記≫
アバターヒエラルキーには更に上があるそうで、現在日本で四館あるIMAXシアターはIMAXデジタルなるもので画面が小さいのだそうです。
以前、日本にも新宿と品川に本物の8階ビルサイズスクリーンのIMAXシアターがあったそうです。
アバターがもう少し早く公開されていれば潰れることは無かったはずですし、本物サイズでアバターが見たかったので残念です・・・



2010年2月17日水曜日

東海大学医学部付属八王子病院

ことしの正月明けに私の職場の同僚がくも膜下出血で八王子の病院に入院しました。
私よりも一回り上の48歳の男性なのですが、何故に八王子なのかと、受け入れ拒否でそこまで遠くまで飛ばされてしまったのかと懸念しましたが、以前八王子の方で働いていて正月休みに戻っていていた時なので

こっちの方の病院に入院したのだそうです。

最初私が病院に見舞いに行ったときicu(集中治療室)に入っていたので家族としか面会できないとのことで追い返されました。今は個人情報保護法とかで厳しく、どんな容体なのか教えてくれなくて



病院に逐一電話をかけて一般病棟に移るのを信じてまっていたのですが、2週間後HCUなる部屋に移っていてICUよりももっとハイケアーを必要とする人が入る場所かと思い落胆したりしました.

くも膜下出血になり二週間以上集中治療室に入るなんていったいどれほど重篤な状態なのか、

くも膜下出血の生存率をググりました。

1/3が死亡、1/3が後遺症が残る(手術後の後遺症として麻痺等が出る)、1/3が社会復帰可能とのことでした。


ようやく3週間後12:00~19:00の間で面会できると言われたので



言語障害や麻痺などがあると覚悟をきめて心を絞めて向かいました、、、

入院前、最後に会った時と全く変わった様子がない人が目の前にいました。後遺症的な物も 全くないそうで元気だそうです。

次に見舞いに行ったときはお昼だったのですがバクバクと病院食を食べたりして何かを返してほしい気持にもなりましたが、

とにかく無事でよかったです。

HCU(高度治療室)は名前とは違ってICUから一般病棟に移動させる際に、経過を観察したりする場所だそうです。

ものすごいヘビースモーカーの人なので一番の要因は煙草だと思います。
私も吸っていたので喫煙者にたばこは吸わない方が良いと言うことはありがた迷惑以外の何物でもないとは重々承知していますが、私がタバコを止めてまだ一番つらい三か月目位の時に見た、

禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける)を読んで絶対にたばこは止めようと誓いましたし、言うべき人には嫌がられても言おうと思いました。とくに鬼太郎のくだりは凄まじいです、、、



お医者様、ありがとうございます。

2010年2月9日火曜日

岡本太郎記念館

行きました。
二十歳ぐらいの時に美術に興味を持つまで私は岡本太郎さんの凄さが分かっておらず、幼少のころの笑っていいともなどのテレビにでて、珍妙な動きをするちょっとおかしい 爆発おじさん※YouTubeとしてしか認識していませんでした。




坐ることを拒む椅子に座れます。

アトリエも当時のまま残されています。
上には書斎があります。
このアトリエで創作されている太郎さんの動画がありました。
遊ぶ子 油彩/未完

虫と子供 油彩/1973年


岡本さんの養女で岡本太郎記念館の館長だった故岡本敏子さんのお写真がやさしく微笑む太郎さんの隣に飾られています。


私は野球に全く興味ないのでさっぱり分からないのですが、この赤いのがどこぞの球団のマークだったそうです。
ボツになったこっちの黒い方が太郎さん自身は良かったそうです。


 
大屋根のまっすぐな鋼管で構成された幾何学的な風景を、岡本さんは「世界一の大水平線構想」と呼んだそうです。

お祭り広場で何かあった時、大屋根に来場者を避難させるための非常階段が太陽の塔の左手〔手なのか?〕に作られていたとは知りませんでした。










これは太郎さんの作品ではなく、大阪万博の展示ですが、40年前にすでに 脳内メーカー的なものがあったのですね。
これもEXPO'70の展示 「 世界一大きな絵本」


adidas ART企画【adicolor】シリーズで「岡本太郎」verがありますが、非売品です。

太郎の鐘(1965) いやらしいですが8,000万円だそうです。

こどもの城のシンボルモニュメント 「こどもの樹」(FRP、1985年)

「明日の神話」(ウィキペディアより)
「自らの作品をガラス越しで展示されるのを非常に嫌い、そのままの状態で鑑賞してもらうことを善しとする考えであった。それを表す逸話として、ある時自らの絵画作品「コントルポアン」を傷つけられたことがあり、それ以降関係者がガラス越しでの展示を提案すると太郎は激怒し、「傷がつけば、俺が自ら直してやる」とまで言ってのけたという。渋谷駅の駅ビル的扱いの渋谷マークシティという渋谷駅からの電車の微振動や乗降者数の多さ、そして気温・湿度の激しい変化に晒されるなどとても設置場所としては不向きなところに展示される「明日の神話」も、以上の理由で何の防護措置も施されずに展示されることになった。」


2010年2月1日月曜日

第一デパート

私は平成3年から5年までの2年間ほど西国分寺に住んでいてたのですが、立川で偶然にとても面白い場所を発見してよく通っていました。自分のサブカルメンタリティーを満たしてくれたあの懐かしい場所がまだ存在しているのかどうか、年に何回か気にかけてはいたのですが今まで再び訪れる機会はありませんでした。
諸事情があってちょっと北八王子にいく用事ができまして、
楽しいついでも作ろうとあの場所に行ってみようと調べたら
「インディーズ系百貨店」と呼ばれている第一デパートがどうやらあの懐かしの地だと思ったので行ってみることにしました。

何で八王子に行ったのかはこのブログで書けるようになったら書くかもしれません、、、




エスカレーターを上がり 振り返って3階フロアーを見た瞬間、ここだあの場所だと記憶の固執に埋もれていたピースとピースが17年ぶりにつながることによって突然脳にあらわれるプライミング効果は曇った空が一瞬に「さー」と晴天に切り替わった時のような感動を覚えました。
嬉しいことに、お店の配置や雰囲気テイスト変わっていません
ポスター&ロック商品『ジュネ』
当時、氷室京介の生写真や、BICK TICKの桜井さんが来ていた同じ黒エナメルコートを買ったりしました。
今はバンギャと呼ぶそうです。

時代の波には逆らえず本当は平成21年には 再開発のため第一デパートは解体されていたそうです。少し先延ばしになってくれたおかげでまたこうして再び訪れることができました。
昭和41年に第一デパート開店当初からある「サンモリノ」
昔ながらのナポリタンです。
アド街で薬丸さんがカレースパゲティーを推奨していましたが、本当によく食していたようです。
サンモリノのご主人は第1デパートの取り壊しと同時にお店を終了し引退なされるそうで す。
当時、 第一デパートの向かいにも昔懐かしいデパートがあって屋上の遊戯場やレストランが60年70年代前半のレトロチックな状態のまま残されていてすごい好きな場所だったのですが、あの時からすでに建物自体古くて無くなってしまう雰囲気満載だったので案の定ありませんでした。
多分今、このみずほ銀行が立っている場所にあったとおもいます。

第一デパートを検索していると立川にはフロム中武というマニアビルがあるそうなので行きました。
四階は中野ブロードウェイと類似かの如く似ていました。
定期的に 古本市が開催されています。
キンダーブックが二千~三千円で売っています。
古書マニアにとっては有名な場所なのだそうです。

茶タグ落札しました。

TALON(タロン)のダブルジップです。