2014年1月27日月曜日

船橋市総合教育センター

また一人プラネタリウムに行きました。


たまたま、


きのう日曜日お休みできたので

平日は一般投影はしていないプラネタリウムに二軒はしごで逢いに行き

またいくどか道に迷ってきました。


天文観測室が目印のビルで、東船橋駅北口の窓越しからみえるのですが、

二点間を結ぶ最短距離の直線では辿り着けないので

けっこう歩きます。




辿り着いた先にあらわれましたのは

なんでこの場所にこんな計算されたプラネタリウムドームでした。

山崎直子(43歳)さんのサイン色紙がありました。

千葉県松戸出身で、幼少時代に足繁く通たとされる

松戸市民会館プラネタリウムに去年の12月いってるんで、

近いうちブログにあげます。






11時の投影一時間以上まえに着いたのですが、

エントランスは開いていました。




投影機、コスモくんの愛称で呼ばれてるみたいです。

閉館ではなく、閉天というのがよいです。

本館、七階視聴覚室からの眺めです。


卒業文集「渋谷の空の向こうに」がおいてありました。

五島プラネタリウの愛され方がすさまじいのが伺える一冊です。

二件はしごするので

午前11時からの幼児向け投映をえらびました。

でもちゃんと前半は星空生解説あります。

五藤光学研究所 プラネタリウム配給作品

星の国のアリス

あらすじ

お姉さんと草原にでかけたアリスは退屈でたまり
ません。そこに、時計を持ったうさぎが、アリス
の目の前を通り過ぎました。何か面白そうな出来
事の予感がします。アリスはうさぎを追いかけて
いくことにしました。うさぎの飛び込んだ穴にア
リスもあとを追って穴にとびこみ、暗い穴の中を
ドンドンと落ちていくと、その先には扉がたくさ
ん並んだ部屋にたどり着きました。
苦労の末にアリスがその部屋から出ると、バラの
咲き乱れる庭園。空には満天の星。ここは星の国
だったのです。 


キッズプラネタリウムなので当然ですが、

一人で来てる客なんて私だけ

見渡す限り全員子連れの親御さんたち

親子でこんなに朝からプラネタリウム観に来てる

それは大変すばらい

なんて微笑ましい光景なんでしょう!

喜ばしい限りです。

これは本心からの私の思いなのですが、


この場所にいる正統な大人たち

そのご子息、ご令嬢からうける熱視線

私はどうゆう目で見られているのだろうとか

そんな現実を考えたらそこでこのブログ完全に終止符で試合終了の安西先生なので


自分の存在は周りからは見えてないものとして

意識を殺してプラネタリウム巡り勤しんでます。







開天しました。




いましたコスモくん




あらため

五藤光学研究所製造

GN-18-AT

1981年型です。




今日の投映を見て、覚えた星の名前を言うと

星空カードがもらえます。

大人と子ども共通で、一人で五枚集めると

「星の図鑑」になる豪華得点です。



ドーム直径18m、


座席数255席



千葉市科学館ができるまでは



県内で最大のプラネタリウムでした。


 

生解説+オート形式ですが、



かなりしっかりとした夢のある星空をみせてくれました。

面白かったのが、

投影最初、

船橋市総合教育センター屋上から見た町並が

ここは千葉なので、


ビル群がららぽーとだったり


あきらかに順番的にもスカイツリーのシルエットの塔で、


解説者さんが、



「あれはなんでしょう?」


とかポインターあわせるので


子どもたちとうぜん、

「すかいつりぃー」

って答えるの前提で聞いといて



返しが




「そう!あれは千葉の電波塔です。」




なんか、これからあなたたちが見る夜空は「千葉」の星空なんですよを


しっかりと千葉県民のメイツたちに幼少のころから洗脳その脳裏に焼きつけ

潜在意識に千葉の誇り愛する心を植え込もうという薄汚い大人たちの魂胆が


ひとつもプラネタリウム施設のない低劣な江戸川区

不遇の大地に生まれ育った私にとって


なんて優れた英才教育を施す


さすが「すすめ!!パイレーツ」の舞台である約束の地に他ならいと確信しました。








2014年1月22日水曜日

おろしたての笑顔で

昨今、

このブログでは

旅行記のまねごとみたいなことしてみたり、

いい年してこんな脈略のないブログの更新に勤しんだあげくに

結婚もできなければ

子もいないくせに

プラネタリウムや活動写真キネマの天地

一人

観にいき行っては

撮ったフォトOグラフィティ達に

支離滅裂な文体をそえては微笑ましく思う行為にいそしみながら飛び降りる


すっかり勇気だけが頼りの星空ポエムブログになりさがってしまっている

現状でありその未来行く末のロンド、

瞳に「かしこ」。





それで




自分でもすっかり忘れかけていたことなのですが、







じつはここ、発祥はアメカジブログとしてスタートしたという事実、

歴史秘話ヒストリアをご存知で

知ってるつもり?!でした?




その当時の末期に買ったジーンズを一本寝かせていたのを思い出し

それを6月のヨーロッパ旅行で穿こうかなと

思い出し引っ張り出しました。

平成19年の3月と書いてあるので、およそ7年前のものです。



品番は3005XXで品名は50‘s XXMODELというもので

 フラッシャー付きの生。




当時、

アーキュエイトステッチに改ざんできる使用は駄目と

リーバイスからのお通達があり、

もう生産できなくなってしまい、

もう在庫あるだけの状態の時に

ネットで探し回って見つけた一本です。


入っていた紙に書かれている言葉が

当時の世相が現れています。


「現在のフラットヘッドができる上で、かかせなかったこのデニムの、
もう生産されなくなる貴重な仕様を是非大切に、」

「また今ならレア使用が手に入ります!他品番のご検討も是非ともよろしくお願いします!」




比較対象として

私が30歳の時に同じようにリジットの状態から週一で洗ってるのに

ここまで育てた

3005と照らし合わせてみます。




このジーンズはともに同じインチでレングスなんですよ。

この画像を見ると

どんだけすそ上げしてんだよと

ゆーあびる足みじかいと思われるかと思いますが、

ちょっとまってください。

糊落としの前にバックポケットの刺繍に細工したあと

洗濯機で荒井注して、

それをマイ・スイート・ホーム近くにあるローンドロマットに持ってて

50分乾燥機にかけると


こんだけ縮みます。


かさねると隠れちゃうほどです。


この作業をもう、

10回以上はおこないましたが、

久しぶりなこともあいまって

びっくりたまげた門左衛門(逆転イッパツマン)。


それを自由が丘に持っててすそ上げしてもらいます。

持ち込みなので、1000円かかりました。



現行の3005は二万五千円でした。



私が買った7年まえは二万一千円でしたので

四千円値上がりです。


当時の細工できる仕様のフラッシャー付リジット

ヤフオク!で売ろうかなと考えもしました。


そもそも、私はデカめで穿くので

アタリとかヒゲとか関係ないので

わざわざリジット選ぶ必要はありません。


まして、もう糊落としの儀とか

買って帰って洗って50分乾燥機かけてまたお店に持ってくとか

年老いた今のおいどんにとって


非常にめんどくさい行為以外の何ものでもないのです。


では何ゆえの今回のこの情事にいたったのか?






それはとても穿きやすく、丈夫なのは

30代前半に自分の体で立証している

言うことナスです!のジーパン(リケンの)なので


長期のヨーロッパ旅行に最適!これしかない!

と思ったからです。




2014年1月15日水曜日

永遠の0

1月13日夜、

109シネマズ木場に

「永遠の0」

観にいきました。

木場は

家の最寄り駅から9分で着くので

たいへん便利です。


場所はシアター5でした。

エグゼクティブシートがないので

G列の9番選んでみました。


シアター5は

スクリーンが右によっているので

ネットで席を予約するさいは注意が必要です。

21時20分の回にしたら

20時以降はレイトショーとかになって

1200円で観れました。



シアター5のG列9番は

水野晴郎さんの語る

劇場真ん中から少し後ろの

映画観るのに一番適した場所かと思います。

劇場の自動発券機が新しくなってました。

「永遠の0」は144分の映画で

終わったのは23時55分。

ロビーにでると誰もいませんでした。


真っ暗です。

それで私の映画の感想ですが、

ネタバレ一切なく書くと

サラの鍵と同じストラクチャーとってるなあと


去年広島の大和ミュージアム行っててよかったなです。









それで、本題なんですが、

今回「永遠の0」

観にいった一番の理由が


ニコ生岡田斗司夫ゼミ一月号、

「新春から語り倒す!!」~女性向け風俗から「永遠の0」まで~

で、岡田斗司夫さんが「永遠の0」の感想を語っているのですが、

岡田さんの映画の解説はとても面白いので聞きたいのですが


岡田さんの解説をより面白く聞くためには

その映画を観たあとのほうがより楽しめるだろうと

それが最大の目的で観にいったんです。




やっぱり面白かったです、岡田さんの解説は


でも


岡田さんは完全にネタバレありで語るスタイル方式なので注意です。





映画をすでにご覧の方は

一度ご視聴おすすめします。

以下、

※ネタバレあり


ここから「永遠の0」に入りますけども、ネタバレですけども浜村淳なのでしょうがないということで

この作品、右翼エンターテインメントと呼ばれていて

そのことに対して作者の百田さんは凹んだりもしているんですが、

すごい面白かったんですよ

感動しました。


でも最初その感動の正体が自分でもよく分からなくて

で、なにかなと思ったらシンプルに最後の宮部久蔵というゼロ戦乗りの笑顔なんですね。



彼が最後笑いながら突っ込むじゃないですか、あれなんか変だと思いませんでした?

最後

敵に零戦で突っ込んでいく人のよりの顔で終わっていって


そしてそれが何故か


笑顔なんですね。



それが不思議な構成だなぁとずっと引っかかって

山崎貴監督ってあのALWAYS作った人で

あの人ってわかりやすい演出得意じゃないですか、

だれでもが泣けるような、貧乏人が正しくて

金持ちはちょっとイジワルでみたいな

泣けるお話を作ってくれる人ですよね。



今回も家族のために帰りたかった人の思いが


まだ生きてる人の中に

つながっているんだという話で



最後それまでに宮部久蔵のことを語った

色んな人たちがカメラ目線でこっち見ていて

モンタージュ効果でそれぞれの人にゆっくりとよっていく

あのよりはズルイよなと


でも本当はあそこで終わっていていいはずでしょ

本来メロドラマで終わらせるんなら

最後夕焼けでいいじゃないですか、


僕たちは

おじいちゃんからもらった命でこれからも生きていくよの

青空ラストでなんで〆なかったのか?


なんで特攻で突っ込んでいく奴のニヤリで終わんないといけないのか

それは原作に書いてない映画監督山崎貴の主張なんです。



お話は現代の主人公である司法試験四回落ちた賢一郎君の視点で

おじいちゃんはどんな人だったか

なんで特攻にいったのかを知るミステリー仕立てになっていますよね。







全部語っていることを聞いて

おじいちゃんはこんな人だったんだと知ってストーリは最後まで進んでいくのに





映画のラスト一分だけが特攻して死んでいくおじいちゃん本人しか知らないことで



あそこ手前までは全部、賢一郎君の視点と映画の観客の視点が同一なんです。




おまけに原作って一人称小説なんです。

「僕は」で始まっているから

原作の小説もおじいちゃんしか知らないことは一切書いていないんですね。





すべて現代の主人公のお兄ちゃんが知っていることだけを語っている

でも監督はラスト一分で原作にもないシーンをいれちゃた。



それが笑顔というのにずっと引っかかってて考えて

これかなと思ったのは、


あの瞬間だけ主人公は自分のために戦った


つまり戦いたくないなんていってないんですよ

生き残りたいといっているんですよ

家族のために生き残りたいといっているんですよ


でも他の人間はなにをいっているんだ

お前は戦いたくないのか勝ちたくないのか

敵を殺さなきゃだめだろといっているのに対して

僕は生き残りたいです

生きて帰りたいです


でも、

日本人として戦いたくないのか

その問いにたいして答えてない




それに答えているのが最後の一カットだろうと

あの映画観てると反戦気分になるじゃないですか

特攻なんていけないよなと

戦争なんていけないよなと

そんな気分になるんだけど、


でも最後のあのシーン観ると男子として燃えちゃうんですね

あの絶対不利の中を

もの凄いテクニックで銃弾を掻い潜って

空母に向かって突撃していくゼロ戦を見たら応援しちゃうんですよ

この命が無駄に終わらないでほしい

宮部久蔵ガンバレと




当たらないのは宮部先生得意の空戦テクニックで


海面の反射を応用し


さらにゼロ戦の向かっていく軸先と進行方向をずらすという技を

米軍は初めて目にするから



「狙っているのに何故あのゼロには当たらないんだ?」

「悪魔のようなゼロだ!」


そこで僕らはなんか我知らず応援している気持ちになっているとき

宮部久蔵が最後にニヤリと笑う


初めて家族からなにから開放されて

彼は実は戦いたかったんだ

一人の男として日本人男子として兵士として

実は敵に勝ちたかったんだというのが

戦争ってこうなんだと

家族のために帰りたいという人間と

それでも自分の命を懸けて戦って勝ちたいという男の気持ちが


両立しているものが戦争なんだと

それがわかってゾクっとなり

すごい映画作ったなと


山崎監督上手くなったなと思うのは

ALWAYSの時はこんなの出来なかったんですよ

観客のお年寄りから子どもまでみんなが

感動できるエンターテイメントを提供しながら

自分の主張はあんまり無かった

でもこの「永遠の0」は映画館に来た人をメロドラマと感動させながら

でもそれだけじゃない自分の主張、考え方も入れている

そしてなにか訳がわからない印象を残すのに成功した作品





でもこの「永遠の0」は映画館に来た人をメロドラマと感動させながら

でもそれだけじゃない自分の主張、考え方も入れている

そしてなにか訳がわからない印象を残すのに成功しているので。