2010年6月7日月曜日

軽井沢旅行、其の漆

メルシャン軽井沢美術館
メルシャン創立40周年(1994年)を記念して、メルシャン軽井沢蒸留所のウイスキー樽貯蔵庫群をフランスの建築家・ジャン=ミシェル・ヴィルモット(ルーヴル美術館リシュリュー翼やパリの大統領府エリゼ宮のリニューアルなどを手がけた人)の手により改装して1995年に開設されました。
企画展が年に2~3回あり、フランスを中心としたヨーロッパの近代・現代美術作品の展示がおこなわれています。
ミュージアムショップ
エントランスをくぐると目の前に2階建てミュージアムショップがあります。
ルーヴルやオルセーなどフランス美術館グッズやスタジオジブリのオリジナルグッズが売ってます。

今年で開館15周年のメルシャン軽井沢美術館を記念して、
「『小さなルーヴル美術館』展in軽井沢」展が、2010年4月17日(土)~10月24日(日)まで開催していました。同展は2008年に三鷹の森ジブリ美術館で企画展示されたものを再構成したものです。






初代蒸留機です。この中で沸騰させて蒸発した液体を集めたものからウイスキーは出来て行くのだそうです。



蒸留所見学のツアーに参加しました。
軽井沢はウィスキーの本場スコットランドと気候が良く似ていて、浅間山の雪解け水が生み出す伏流水、冷涼で高湿な気候により美味しいウィスキーが出来上がるのだそうです。

工場内は撮影禁止です。
建物の壁に生えている蔦(つた)は直射日光をさえぎって蒸留するのに最適な温度にする役目があるそうです。

最初は日本酒見たいに無色透明な液が5年、10年、20年との歳月により、樽の木材成分がウイスキーに溶け込んでいって琥珀色に変わっていくのだそうです。
ウイスキーは 貯蔵の過程で樽に吸収されたり乾燥によりほんの少しですが、毎年 量が減っていってしまうのですが、ウイスキーは時の流れにより熟成されて美味しくなっていくそうなので、その減った分を蒸留所の人は『天使の分け前』と呼ぶそうです。
見学後の後はテイスティングで 『メルシャンプラザ』に行きます。ウイスキーとワインと合わせて約300種類も取り扱っていたり、数々のチーズ、信州の食材やワインオープナー、グラスなど満載なので目で見ているだけでも楽しいので、お子様も楽しめるかと思います。ウイスキーもワインも飲めない私が楽しかったので。
 
しかし・・・
 
旅の終わりが近づいてくると何とも言い難い悲しい気持ちになってきました。これから殺伐とした東京に帰らなければいけない、現実の世界に戻らなければいけないという堕ちていく感情、久しぶりにサザエさんシンドロームが押し寄せてきました。
帰りたくないよぉー帰りたくないよぉーアルフォンス(すずき軽自動車)とこのまま白樺広がる楽園へ永遠のランデブー(逃避行)
決行、行ってきます。

でも、逃げていてはいけませんよね・・・
頑張らないと・・・
だってもうアラウンド フォーティーなんだもん・・・泣かないぞェ

最後に軽井沢駅のすぐ隣のJRの駅レンタカーにアルフォンスを返さないといけないのでガソリンを満タンにするべく近くのガソリンスタンドによったのですが、走りに走り回ったのに1700円ちょっとと素晴らしい低燃費でした。
この旅行、本当に行って良かったです。
どこか行かなきゃ耐えられない気持ちになって、いつも以上に突発的に軽井沢にきてしまいましたが
素晴らしかったです。
この軽井沢最高の中にはレンタカー最高の意味も大きいのですが、沢山素敵な空間に触れる体験は本当に貴重でした。
ありがとうダダ!迎賓館当たったけど一人で行くからね!

軽井沢旅行、其の陸

白糸ハイランドウェイ

旧軽井沢と鬼押出し園を結ぶ有料道路ですが、ほとんどの人がこの途中にある白糸の滝目当てでこの道路を利用しているそうです。なのでシーズンオフとなる冬季はこの道路の利用客も減少してしましい、年間を通しては赤字経営だそうで、ゆえに道路を舗装できないのか、道がぼこぼこしていています。曲がり曲がった斜面の起伏もあいまって、ちょっとしたスリリング体験ができます。

白糸の滝入口には、白糸ハイランドウェイを管理している草軽交通の売店があります。
冬季は休業します。


『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』のトアル村にある泉にそっくりです。


熊出没注意の看板があります。この時はまさかとしか思えませんでしたが、帰って検索してみると信州の軽井沢では本当に出るそうで、実際に観光客が襲われたりしているそうです。


万平ホテル
1894年(明治27年)に「亀屋ホテル」という名の外国人専用ホテルとして創業しました。 2年後の1896年(明治29年)に創始者・佐藤萬平の名前を取って「萬平ホテル」と改称し、 1936年(昭和11年)に現在の「万平ホテル」になりました。この建物は、 1945年(昭和20年)に連合軍に接収されて一般営業を休止し、 1952年(昭和27年)に接収が解除され営業を再開したそうです。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1976年から4年間、避暑のために滞在していました。

ホテル1階のカフェテラスでジョンレノンが飲んだというロイヤルミルクティーを注文しました。当時メニューにはなかったそうで、作り方をジョン自身が直伝し、以来ロイヤルミルクティーがメニューに加わりました。帰って調べたら、現在はそのミルクティーに生クリームを加えているそうで、ジョンと同じものが飲めたと思っていたのに、おのぼりさん気分が少し壊されました。

万平ホテル史料室
ホテルの歴史に関する史料や調度品をはじめ、東京オリンピック委員会からの感謝状や、1972年に当時日本の首相であった田中角栄と、アメリカ・国家安全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが会談の際に座った椅子、ジョン・レノンが気に入ったとされるピアノなどが展示されています。
万平ホテルの近くにはオノ・ヨーコの別荘もあります。それでもここに宿泊するほど気に入っていたそうです。いつも泊まっていたのはアルプス館の128号室だそうです
ツルヤ・軽井沢店
軽井沢の別荘で避暑生活をする人々の大半はここを利用するそうで、明治屋や紀ノ国屋の品ぞろえで店内が大きく、そのうえお値段がリーズナブルとの評判が本当なのか知りたくて行ってみました。



店内のフードコートには、SUBWAYとミカドコーヒーがあるので、モカソフトを食べたのですが、軽井沢旧道店で食べたほうが明らかに美味しく感じたのですが、気持ちの問題だけではないと思います。

そして、あともう一か所、この旅で一番行ってみたいと思ったところにいって終わりになります。
車がなかったら、とても一泊二日でここまで色々な場所に訪れて軽井沢を満喫できなかったはずですし、
タクシーで巡っていたら大変な金額になっていたでしょう。
レンタカー最高!
ビバ!すずき軽自動車
ありがとうアルフォンス(車に名前付けてました。)

軽井沢旅行、其の伍

島崎藤村、芥川龍之介といった文豪からも愛された、嘉永年間(1624年)創業の『つるや旅館』

『ブランジェ 浅野屋(ASANOYA)』
現在、軽井沢に旧道店、白樺台店、信濃追分店、東京には自由が丘店、松屋銀座店、東京ミッドタウン店と6店舗あります。

『日本キリスト教団 軽井沢教会』
1905年、超教派の「合同教会」として開設、会堂はW.M.ヴォーリズの設計。

『喫茶店、ぱいつぼおる』
ノルウェー直輸入の暖炉“パイツ”に、火を意味する“ボオル”が店名の由来

明治の進取な気分と清新な発想が創った「軽井沢彫」
イギリス公使館付宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショー氏が避暑地として着目して別荘を建てたことで、多くの外国人が次々と西洋建築の別荘を建てました。
 外国人が住まうようになって特に必要とされたものは、日々の食品、そして西洋建築に合った家具や工芸品でした。
 栃木県日光には古くから木工の特産品があり、日光彫と呼ばれる技法が存在していて、1908年(明治41年)、日光彫の職人であった清水兼吉と川崎巳次郎の二人が職人仲間を連れて、彫刻を施した西洋家具の製造を始めたのが最初と言われているそうです。


『旧三笠ホテル』
設計はアメリカで建築設計を学んだ岡田時太郎、又監督・棟梁・施工の全てが日本人の手によって建築されました。
大正4年に開通の、草津軽便鉄道があって軽井沢駅-旧軽井沢駅-三笠駅-鶴留駅-小瀬温泉駅までの10㎞を小型の蒸気機関車が走っていて、三笠駅を下り、500mほど北へ歩いていくと三笠ホテルがありました。1970年(昭和45年)廃業し、現在はそこからさらに70mほど北へ、国指定重要文化財 旧三笠ホテルとして移築保存されて、1983年(昭和58年)から一般公開されています。
新築時には玄関ポーチがあったそうですが、何らかの事情で今はないそうです。残念です。せっかくこんな素晴らしい洋館なのに顔である場所に味のない赤い玄関屋根とは涙そうそうです。

ベルサイユ宮殿は各部屋を渡り歩かないと次の部屋に行けない作りで、位が高くなるにつれて人に触れない部屋割の構成ですが、なんかここもそうで、一階も二階も建物正面向かって左側に共同トイレがあってホテルなのに部屋が仕切られていません。右側の角部屋だけ一番大きくそして非公開になっている、完全な宮殿形態な作りなので、プライベートもあったもんじゃないので、そりゃー潰れるよなって至極納得しました。

国際子ども図書館ではごく一部だけ割れずに残っていた手吹きガラスの窓枠がここではまだ沢山現存しています。



幾何学模様のガラス窓に、建築当初から残る明治のガラスの不均一から眺める避暑地の風景はなんとも贅沢です。

『パイプペンダント』
電気の傘としてしようされているのはこの型と

これの2種類だけで、旧朝香宮邸、東京都庭園美術館のような遊び心がないなとも思ったのですが、当時の日本のガラス技術は低く、これも見よう見まねで職人さんが試行錯誤の上で作られているのだなぁとサントリー美術館 の『和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち』を見ていたのでなんとなく分ります。浅香宮邸は皇籍なだけに当時の最先端な技術で作られた外国物の輸入品なのですから、違いが生まれるのは必然だと分りました。自分の生まれる何十年前の世界の同時代の時と場所での出来事を現代のその場所に訪れ、見てその背景が少しでも理解できたことに自分の面白いと思うもの、趣味って間違ってないよなってあらためて実感できて良かったです。


『フロントロビー』


『キーボックス』
洋式ホテルのため13号室は使われていません。その逆に4、9号室があります。

『 カウチ』
従来からのカウチ(寝いす)を修理、復元。上流階級の貴婦人にこのまれて使われたそうです。