2010年4月20日火曜日

東京都庭園美術館

東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の「アール・デコの館―庭園美術館建物公開―」に行きました。
普段は美術品が展示されているので、内部の写真撮影ができませんが、この時だけは取り放題、しかも普段公開していない部屋も公開されます。

朝香宮鳩彦王が1947年の皇籍離脱まで暮らしたあと、3年間、吉田茂の外務大臣公邸として使用されたのち西武鉄道に払い下げられ迎賓館として使用されたり、入園料のすごい高いホテルのプールがあった時代がありましたが、1981年に東京都が買い取り、1983年に都立美術館になって一般に公開されました。
1925年パリで開催された6回目の国際博覧会はアール・デコ博覧会と呼ばれていて、同時代の精巧で官能的な装飾芸術やデザインを言い表すために、アール・デコ(Art Deco)という言葉がうまれました。博覧会の名前のうち「Arts Décoratifs」(装飾芸術)の部分を短縮したのだそうです。1920年代から1930年代にかけて発展したスタイルです。
1919年ドイツに創立された工芸美術学校「バウハウス」の近代デザインの概念に基づき、機能的・合理的、かつシンプルなデザイン様式のアール・デコデザインだったので、戦後軍国主義に持って行った財閥を解体するために旧古河邸庭園旧岩崎邸庭園原美術館みたいに GHQに接収されることなくすんだのだと思います。



学芸員さんによるフロアレクチャーを受けたのですが、すごい人でした。










各部屋の照明が全部違っていて遊び心満載です。姫宮寝室前のステンドガラスの星型が一番好きです。





























































大正11年(1922年)宮鳩彦(やすひこ)王がフランスへ留学するのですが、翌12年に、義兄の北白川宮成久王が運転する自動車が事故を起こし、北白川宮は死亡、同乗していた鳩彦王は足を負傷しました。しかしその怪我の療養のため奥様の允子(のぶこ)内親王もフランスに行き、供にフランス滞在が長引いたことで、フランス文化により長くふれ、3年後のアール・デコ博を両殿下で見学することがなければアンリ・ラパンに設計の依頼をすることはなく、日本に“アール・デコの館”が生まれることは無かったでしょうから、災い転じてです。

1925年の現代装飾美術・産業美術展(アール・デコ博覧会)のラリックのパビリオンの傍らに制作された、照明付噴水「フランスの泉」


東京都庭園美術館のシンボル「香水塔」、アンリ・ラパンが1932年にデザインし、国立セーヴル製陶所で製作されて、フランス海軍より朝香宮家に寄贈されたものです。
室内噴水ですが、鳩彦王のアイデアで当時は上部の照明内部に香水を施し、照明の熱で香りを漂わせていたのが名前の由来です。

一階の内装をデザインしたのはアンリ・ラパンで材料もフランスから取り寄せたもので制作されましたが、2階の居住スペースは 宮内省内匠寮工務課のデザイン、施工は戸田組による日本人が作り上げたもので、所々に和の要所が採り入れられていてラジエーターカバーが江戸小紋の「青海波」だったり、2階ホールの照明塔は唐草模様が施されています。宮内省の技師たちによる一階の香水塔に対抗してそれに負けないようにと作られたように見えませんかと学芸員の方が言っていました。これぞ和風モダンなのだなと思います。


正面玄関ガラス・レリーフ扉の女性像は昔、一枚ひびが入っていたそうで、吉田首相が怒って割ったとかいう噂もあったそうですが、真相は第1王子の誠彦王さんが酔って帰ってきたさい強く閉めてしまったショックで割れてしまったとのことです。
割れてしまうことを想定してスペアーが存在していて、それが昔誰かが持ち出したのか、プレゼントしたのか分かりませんが、オークションに賭けられていて「これはあの朝香宮邸のガラスレリーフではないか」と情報が入り真相を話し少しお安くしてもらい購入し、平成10年に取り換えたそうです。 複数生産が可能なアールデコデザインならではのお話です。

春休み期間中なので、お子様も楽しく建物を見学できるようにと、ワークシート(チェックシート)がありました。
今までは、年に一回しか開催されない建物公開ですが、今年は12月にも行われます。今までは無かったライトアップも施されるそうで、敷地内には夜10時まで開いている「カフェ・デ・ザルチスト」もありますので、楽しくご利用できそうな方は記憶に留めておかれてはいかがでしょうか。

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