2010年8月31日火曜日

OLYMPUS PEN マイクロ一眼 E-P1

なんか、素敵なカメラをネットで発見しました。そのカメラを購入された方が写真だけ載せていて名前がわからなかったのですが、フレームにOLYMPUSとロゴがあったので、オリンパスの商品ページに跳んだらすぐに、「オリンパス・ペンE-P1」というデジタル一眼カメラだと言う事が判明しました。


・・・一目惚れしました。


今まで私はカメラにほとんど興味がなくて、知識もまったくありません。
どれ程かと例えると、早見優の野球のルールの分からなさっぷりにひってきする位ありません。今現在、自分で撮って、ブログに載せている写真はSONYのサイバーショットでコンパクトデジカメ(コンデジと言うそうです。)なのですが、昔で言う「バカ〇ョンカメラ」(差別用語らしいので伏字にします。)で自分的には十分な写真が簡単に撮れるのでなんの不満もなかったのですが、

「こんな素敵なカメラ首から下げて歩いてみたい!」

という欲求、心の疼きを 抑えることができなくて、つい先ほど楽天で購入ボタンを押してしまいました。

楽天で購入した理由は、パンケーキキットのホワイトがAmazonよりも安かったからです。










こんなレースのストラップもあって、一眼カメラを女の子が可愛く持ち歩けるなんて楽しいですよね。






オリンパス純正のストラップを購入しようと物色したところ、ショルダータイプのほうが、幅も細く、お洒落っぽいのですが、アマゾンの評価で、長すぎると不評な意見があったので、短いほうにしました。

「カメラケース:Aki-Asahi E-P1/E-P2用革ケース(ライトキャメル)」
こんなシックな大人仕様にも変えられるんですね。


こんなゴッツクにも様変わりします。








「オリンパス・ペンE-P1/E-P2張り革キット」

両面テープをはがしてはるだけで簡単に衣替えできます。



























2010年8月24日火曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー Blu-ray BOX

『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 25thアニバーサリー Blu-ray BOX』 が、
ドクとマーティが初めてタイムマシンの実験をした日、10月26日に発売されます。

3作の本編ほかに、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の軌跡」(※一部初出し)、
「製作ボブ・ゲイル/ニール・キャントンによる本編音声解説」(※ 前回の日本版DVDBOXではカット)
「タイムトラブル分析」 
「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」
「未公開シーン集」 
「アーカイブ特典」 
「マイケル・J・フォックスが語る撮影裏話」
「ミュージック・ビデオ」 
「オリジナル劇場予告編」 
「監督ロバート・ゼメキス/製作ボブ・ゲイルによるQ&A」

盛りだくさんの映像特典!

しかもさらに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のすべてがわかる約40ページのプレミアム・ブックレット付きで発売されるにも関わらず、
Amazonでは6,234 円と、とってもお手頃価格です。
ニューヨークでは、このブルーレイBOX発売前日の25日に、主要キャスト、スタッフが集結したプレミア・イベントを実施する予定と大変なもりあがりです。

そして一部の日本人にとって喜ばしい出来事なのが、日曜洋画劇場で最初に吹き替えされた 三ツ矢雄二版が収緑されています。

私も本当に、もういい歳なので、吹き替えの中の人論争とかはもう止めます。


タイムスリップに必要な電力の1.21ジゴワットのジゴワットってギガワットの事だったんですね。

当時、共同脚本家のボブ・ゲイルが間違えて、"gigawatt"(ギガワット)の単語の綴りを"jigowatt"だと信じ込んで脚本に書いちゃったそうです

小説版では正しく「ギガワット」になっています。)

確かに当時はゴエモンの2メガのソフトが発売された時、天文学的な数値と騒がれた時代なので、ギガなんて単位、パラダイムシフトで大多数の人が考えもしなかった値なのでその間違いに周りのだれも指摘出来なかったのも公開当時1985年(昭和60年)小学校6年生だった私にも容易に想像がつきます。

25年程度前は、5GBのハードディスク1台が1億円したそうで、今現在、1TBのHDDが6000円台で購入できるような世界になりました。

単純にですが、五億×40=二百億したものが、6000円ちょっとになってしまたってことですよね。

ここまでのオプジットエクスペンシブな物ってほかにあるでしょうか?このペースで行くと10年後位には500TBの外付けが一万円前後になってしまい、200億×500=10兆円が35年後には1万円になってしまうのかもという計算を導き出しました。

HD界はとっても嬉しいデフレスパイラルが巻き起こるとかなんかBTTFと関係ないこと書き出したので終わりにします。

   

   

ただ結論から言うと

  

   


   

  

   

宮川一朗太以外のマイケルはやっぱり偽者です。

2010年8月23日月曜日

名古屋旅行(3) 明治村´ ´

1丁目9番地 森鴎外・夏目漱石住宅(もりおうがい・なつめそうせきじゅうたく) 明治20年(1887)頃

明治中期、東京の街中に作られた典型的な中流住宅で、明治23年森鴎外が一年余り住んで、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいました。

夏目漱石は、 ここで「吾輩は猫である」を執筆し、文壇にその名を高めました。



1丁目8番地《重要文化財》 旧西郷従道住宅(きゅうさいごうつぐみちじゅうたく) 明治10年(1877)代


西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたもので、従道さんは陸海軍の大臣を歴任したりした、維新政府の中枢に居た人物だそうで、在日外交官との接触も多かったので接客の場として建てられた洋館です。 何軒かの主要な建物にはボランティアのガイドさんが常駐されていてマンツーマンで説明を受けることができました。

明治村には旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)で使用された家具も所蔵していて、この椅子などがそうです。今年2010年に開村45年を迎えた記念に「赤坂離宮を彩った華麗なる宮廷家具」展を去年の11月28日から今年の6月30日まで1丁目13番地の三重県庁舎で開催していました。


日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ)の制作したピアノがありました。


日本三景を描いた暖炉飾りは 瀬戸焼です。愛知県瀬戸市で生産されるから瀬戸焼きって言うんですね、陶磁器を指す一般名詞として瀬戸物と言うことを今まではっきりと理解していませんでた。なんか江戸時代以前の日本の文化にさっぱり興味が持てません。ティーカップなどの洋食器は好きですが、清水焼とかの湯呑みとか見ても心の琴線に触れる事がありません。西洋のキャッスルには住みたいですが、和のお城には、全く食指が湧かないので、今回の名古屋旅行でも名古屋城には行きませんでした。


ベランダの床は雨水対策で、少し外に向かって坂になっています。

ベランダからの眺めが素晴らしいです。




1丁目7番地 学習院長官舎(がくしゅういんちょうかんしゃ) 明治42年(1909)


ここも洋館と和館とをつなぎ合わせた形式の作りで、学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いました。

 
  
 
1丁目6番地《重要文化財》  聖ヨハネ教会堂(旧日本聖公会京都五條教会) 明治40年(1907)

明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が作られるようになりました。
設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーで京都の河原町通りに建てられました。耐震性を高めるため、1階は煉瓦造、 2階は木造になっています。尖頭アーチが素敵なゴジック調のデザインがたまらないです。

1階を日曜学校や幼稚園に、2階が教会になっています。

2010年8月22日日曜日

saku saku あかぎあい大復活! DVD


2009年4月6日から4月10日までの期間限定で出演した時のサクサクが
去年の9月に発売されていました。
あかぎあい時代のサクサクが本当に好きだったので先ほどAmazonで購入しました。
特典映像で「宮崎クエスト3」が入っているそうなので、
これ程届くのが待ち遠しいと思える物は、学研以来なので、
自分にとってまだ、そんなパプリックパッケージな物が存在していたことに、
喜びと安心感を覚えます。

2010年8月15日日曜日

名古屋旅行(2) 明治村´

1丁目5番地 赤坂離宮正門哨舎(あかさかりきゅうせいもんしょうしゃ) 明治41年(1908)

赤坂離宮(現迎賓館)の正門両脇の内外に離宮の警護のために設けられた四基の哨舎のうちの一がありました。



1丁目4番地 近衛局本部付属舎(皇宮警察坂下護衛署別館)(このえきょくほんぶふぞくしゃ(こうぐうけいさつさかしたごえいしょべっかん)) 明治21年(1888)

これは皇居警護のため庁舎の坂下門内に建てられた建物の付属舎です。

三重県庁舎内には明治時代の暮らしや遊びが体験できる展示室があります。よろず体験コーナーと称し、明治時代の著名な方々のほぼ等身大のパネル。平均身長は160㎝弱と小さいです。


1丁目13番地 《重要文化財》 旧三重県県庁舎(きゅうみえけんけんちょうしゃ) 明治12年(1879)





1丁目12番地  鉄道局新橋工場(てつどうきょくしんばしこうじょう) 明治22年(1889)


皇室用客車(こうしつようきゃくしゃ) 5号御料車と6号御料車 《鉄道記念物》


写真左6号御料車は明治天皇の御料車、右5号御料車はお后である昭憲皇太后の御料車が静態保存されています。皇太后用の車輌の方が細身に作られています。

2010年8月8日日曜日

迎賓館赤坂離宮

名古屋旅行記の途中ですが、先にコチラをあげます。

28歳さんからのコメントで (29歳にあらせられたそうですが、まだ変わってからブログにコメントを頂けていないのでまだ28歳さんです。)
初めて迎賓館赤坂離宮の存在を知りました。すぐ隣りの上智大学とか四年間新聞を配りまくっていたのに、ちょっと販売地区から外れていただけなのに分らないとは、今となっては自分でも不思議です。

しかし、知ったからには観てみたくなったのですが、中に入るには毎年、
ゴールデンウィークあけ位から始まる一般参観の申し込みに応募して当たらなければ見学できないとの事なので、
虎視眈々と5月の公募を忘れずに狙って往復はがきを送ったところ、なんと一回目で当たりました。
昭和50年から平成17年までの大改装前までの過去の申込と参観の数字を公表していますが、結構な倍率見たいなので幸運でした。
2009年に明治以降の建築としては初めて国宝に指定された旧東宮御所(現・迎賓館)8月2日喜び勇んでいってきました。

丸ノ内線、四ツ谷駅を降りてすぐ右側は自分の配達範囲で、毎朝毎夕配達で、集金で四年間走りに走り回った勝手知ったる、ひとっつも楽しい思い出のない暗黒の土地に背を向けて左側に歩き出すと、徒歩7分ほどで現実離れした建造物が目に飛び込んできます。
さすがに正面から入ることはできなくて見学者は西門にまわって入ります。

見学者はX線による手荷物チェック&金属探知ゲートでのチェックを受けます。身分証明書を提示して本人確認を済ませ、見学者用バッチとパンフレットを貰います。


敷地内に私が確認できた範囲で三か所、自動販売機があったのですが、事前にほかの方の参拝ブログを見て知ってはいましたが、かなり安いです。
デカビタ80円 、レッドブル エナジードリンク160円だったりします。
何でなんでしょう?
 

パンフレット、ポストカード等の販売所がありました。

このバッチを付けて中に入ります。


トイレのある建物で、政府インターネットテレビ(飛ぶと音が出ます)の迎賓館赤坂離宮本館紹介ムービーが流されていました。


いよいよ、前庭に侵入します。


日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築、圧巻です。

前庭からは正面全体を写せないほど大きいです。(約全長116mメートル)

日本人建築家の養成を行うべく来日した、ジョサイア・コンドルの最初の弟子である 宮廷建築家片山東熊の設計による東宮御所(皇太子の住まい)として1909年(明治42年)に建設されました。


普段は閉じられた正門からしか眺めることができない迎賓館本館ですが、この日は中から正門を拝むことができます。

金色の星を散りばめた天球儀と霊鳥

青銅製の甲冑

宮殿建築として世界的に有名な、バロック様式の建造物の代表作である
フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとし、
さらにイギリスのバッキンガム宮殿などを参考としてネオ・バロック様式で建設された東宮御所(皇太子殿下のお住まい)は当時、
日本の建築・美術・工芸の各分野を代表した人々が総力を結集した、明治文化を象徴する建造物で現在では技術、規模、お金など、2度と作り上げる事は出来ない代物です。
目の当たりにして思わず打震え、震撼しました。

こんな巨大な玄関ポーチ、実際に見たの初めてです。


戦後、日本が国際社会に復帰していき、国賓等の賓客の機会が増えてきて、それまで迎賓館として使用していた、
旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)では手狭で随行員が同宿できないなどの支障が起こってきたので、これはまずいと言うことで、宮廷建築の粋を尽くした赤坂離宮が次の迎賓館に選ばれました。
貴重な室内、外観の原形を可能な限り保存し、建築と調和した庭園、室内様式に調和した家具、調度品、さらに和風の別館を新設しました。
本館の正面西の通用口から内部に入ります。館内は撮影禁止なので、
巡った四つの部屋はネットから拾った画像を載せます。

彩鸞の間 (さいらんのま・第2客室)

四つの部屋の中で最初に入るのが、かつて第2客室と呼ばれていた正面玄関の真上の部屋、彩鸞(さいらん)の間です。

各部屋ではボランティアの方の説明が聞けるのですが、室内にほどこされている装飾、アンピール洋式について口のはじに泡を吹きながら一生懸命説明されていました。本場の帝政様式(エンパイア・スタイル)ではナポレオンの統率とフランスの地位を理想化することを意図していたので、オベリスク、スフィンクス、ライオン、サーベルなどがモチーフですが当時、明治の変革時期で日清戦争、日露戦争と日本がどんどん軍国主義に持っていかれてた時代なので、天馬、甲冑、獅子、矢、刀などの日本独自の軍隊調のアンピールモチーフで華麗な金箔と石膏レリーフで構成されています。


花鳥の間(かちょうのま・饗宴の間)

シンメトリーを基調として作られた旧赤坂離宮ですが、建物中央から羽衣の間と対称の位置にあるのが花鳥の間です。面積も同じ約300メートルで、ともに当館で最大の広さです。花鳥の間はかつて饗宴(きょうえん)の間と呼ばれていました。現在でも公式晩餐会が催されています。「花鳥の間」という名は、格天井の油絵や壁に貼られた七宝焼(しっぽうやき)の画題が花と鳥となっていることに由来しています。


戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管されたのですが、なんと1948年(昭和23年)から1961年(昭和36年)の間、国立国会図書館として使用されてたそうです。一般の人が自由に出入りできる時期があったなんて驚きです。ただそのために宮殿内相当ボロボロになってしまったそうなので、後に迎賓館として使用するために5年の期間と108億円の費用をかけて改修されました。

2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけても、大規模な改修工事が行われたので、
もうどこをとっても煌びやかで美しいのですが、
明治期の建造物が兼ね備えている「年季の風格」が薄れてしまったような、趣(おもむき)が綺麗過ぎて無くなっているように感じました。
当時のうすら汚れていた、洋館らしい「どよぉ~ん」とした宮殿内を凄く見てみたくなりました。
朝日の間(あさひのま・第1客室)

迎賓館の正面玄関から正面の階段を上がって、大ホールをさらに進むと朝日の間があります。

かつては、第1客室と呼ばれていました。内装はフランス18世紀末の古典主義様式で、広さは約180平方メートルあります。天井に描かれた、朝日を背にうけた暁の女神オーロラ(ギリシャ神話ではエオス)の絵画にちなんで「朝日の間」と呼ばれています。

羽衣の間(はごろものま・舞踏室)

本館の西側にある羽衣の間は、かつて舞踏室と呼ばれていました。広さ約300平方メートルの鏡と金色と緋色(ヒいろ)」の華麗な大部屋です。
羽衣の名はフランスの画家が描いた約200平方メートルの大きな天井がに由来しています。
この部屋に3基吊り下がっているシャンデリアは当館において最も大きく、かつ豪華なもので、建設当初、フランスから輸入、部品7000個、電球84個、重さ800キロです。
  
 

建物内の見学を終えて、
こんどは参観しないと見る事が出来ない建物の南面の庭園を散策します。
ホテル ニューオータニが見えます。
2階はイオニア式のオーダーが壮観に並んでいるテラスになっています。

国宝に指定されている噴水を背景に眺める国宝の本館南側、
贅沢冥利に尽きます。


茜出版なるところから出している、黒い写真集と白い解説本ともにタイトル「STATE GUEST HOUSE AKASAKA PALACE 国宝 迎賓館赤坂離宮」が一冊税込1000円で売っていたのですが、
一般の書店では扱わず、、ここでしか購入できないと言われたので両方買いました。一般では一年に二万人しか購入するチャンスが無いということになります。

郵便局も臨時出張所を西門内に出しています。

ハガキ買うとその日の日付の「風景印」を押してくれます。

迎賓館を後にして、この機会にいつかは行ってみたと思っていた
四谷駅から新宿通りを新宿方面へ8分ほどあるくと左手にあります。
店内で買った写真集の表紙を取りました。価値が出ると言いです。

桃とプラムのパフェを食べました。プラムは癖になる酸っぱさで、この夏最低もう一度食べておきたいです。