2013年9月25日水曜日

心のこり

なんでもう40年も生きているのに

けっきょく私は無くしてからでないとその大切さを分からないのでしょう?

自分はなんて本当にバカなんだと嫌気がさします。

今は考えれば考えるだけ寂しいという感情があふれて心が押しつぶされそうです。

まさか死ぬなんて思わないから、いつも入院すると体調良くなって帰ってくるから、

今回もそうだろうと仕事の忙しさにかまけて全然見舞いに行きませんでした。

入院二週間してあまりにも遅いので一度見舞いに行ったのですが、


私が第一声「おそいよっ!」と言うとお母さんは


「おまえは大変(仕事)だね、あと四日ぐらいで帰るよ」



あれは今になってわかる私を安心させるための言葉だったと・・。


なんであの優しさに気づかなかったのか、後悔で胸が張りさける思いです。



これがどれだけ壮大なドッキリだったら嬉しいかわかりません




「うそだよー」って看板もって現れてくれたらもう怒りません

そしたらとにかく優しくしてあげたという思いだけです。


こんな感情のまま生きていくのは辛すぎるというのは私のわがままで



実際は全然見舞いにもいかなくてさびしい思いで一人ベットで寝ている母親の悲しみ

だれか病室に入ってくるたび私が見舞いに来たんじゃないかと思い

でもそれは同じ病室の別の入院している人の家族でなんども落胆してたんじゃないかなとか

そんな思いいっぱいさせてしまったのだと考えると私はもっと苦しんで当然だと考えます。





ありがとうお母さん、安らかにお眠りください、お疲れ様でした。




2013年9月22日日曜日

母親が死にました。


先週の土曜日、夜勤明け15日、


なので日曜の朝、私の40回目のバースデイの日、


なんだかわかんないけどやたら蒸し暑く
さらに機械のトラブル連続で相当疲れまして、


シャワー浴びてビール飲んで寝ようと家に帰ると


兄貴が「病院にいくぞ!」とタクシーに私を乗せました。


肝硬変で腹水がたまって入院していた70歳の母親が

最後に意識のあるうちに会わせようという兄貴の考えでです。



今まで10回以上入院経験のある母親で

私はいつものとおり元気になって帰ってくるものだと思っていました。


病室につくと衰弱しくった80歳くらいにみえる
よぼよぼのおばあちゃんが

意識をぼうろうとさせながら私を見つめました。

すると男性の医者があらわれ兄貴が同意書を書かされました。


母親は術室にはこばれて行き

私は家に帰って寝ました。



起きると兄貴がいて

医者があともって二週間だと言ったと聞きました。


今週の火曜日朝に家に業者がベットを運び

昼に母親が看護師さんにつれられ帰ってきました。


意識がない状態でです。

薬も食事も水も飲めないので、

看護師さんが点滴などをしてもまたおなかに水がたまって

苦しむだけなので、このまま・・。と言いました。

水曜日に看護師さんがお風呂にいれてくれて

21日土曜の夕方亡くなりました。





今考えると私が40こすまで、生きながらえてくれたのだと思います。

2013年9月15日日曜日

なんたって40歳!


今日誕生日なのでタイトル変わりました。


このためだけに一人で夢の国にいきました。




去年と同じでタップを写りこませます。





たぶん来年もこのブログ続けてたらですけど

おんなじことしていることでしょう。


ちなみに38歳のときはチェスキークルムロフ訪れたときので、


37歳はペトシーン公園の展望台からのプラハ城のと


池袋の自由学園明日館の二枚ありました。









36歳のときのタイトルバックはこれで




35歳はこれでした。



34歳のこのブログを始めた当初のがネット上に残ってたので

ひろって貼り付けます。



そして今年の誕生日も


去年







同様に
とってもステキな、

メモリアルバースディでした。



それでは


死までのカウントダウンブログ、




なんたって40歳!



これからよりいっそうに惨めで恥をさらすだけの
お目メ汚しな内容に成り下がることうけあいですが、






どうぞお見知りおきのほどをお願いします。





2013年9月10日火曜日

広島旅行⑭ 尾道ロケ地めぐり<その2>

「転校生」で心と身体の入れ替わった一美と一夫がぼんやりしたまま渡る場所です。




「転校生」で斉藤一美の家に行く途中、自転車で登っていた跨線橋


尾道駅から岡山方向に向かうJR山陽本線にかかる陸橋です。

一美が自転車こいでダッシュで走り渡ります。



上はこうなってました。


ネコ


廃墟となっているお家がここにもありました。



懐かしいプルトップ切り離すタイプの缶が散乱しているのがガラス越しに見えました。

時が20年以上とまってます。


猫(ぬこ)

ミーシャのハーブ庭園 ブーケ ダルブル

千光寺公園の中腹に位置するオーガニックカフェだそうです。

「ホウキ修理のため休み」

でした。

「幸せの鐘を三度鳴らしてから御入園してください」




そのブーケ ダルブルの左にあるのが

今塩屋の館 小庵

1日1組の完全予約制で尾道水道の景色を眺めながらお料理をいただくことができるそうです。








「転校生」のタイトルバックの墓地



梟の館(ふくろうのやかた)

ひと月に1度、満月の夜だけ開くというワインバー「梟の館」。 

人々の要望に応え、昼間はカフェとして ひっそりと扉を開くようになりました。

「躾(しつけ)の出来ていないお客様のご入館お断りいたします」と書いてあるので

私には一生足を踏み入れる権限ありません。

この一帯を「尾道イーハトーヴ」をよばれています。



 「イーハトーヴ」とは、宮澤賢治が追い求めた理想郷の名前ですが、。

フランス生まれの絵師、園山春二さんが

訪れた人を楽しませる空間をつくったことにより

、いつしか一帯を「イーハトーヴ」と呼ぶようになったそうです。


ブーケダルブルは猫の細道側にも入口がありました。

秘密の花園に進む道は表と裏と2ケ所(緑の門と赤の門)があるのですが、

こちらは猫の細道側(緑の門)です。

「福石猫(ふくいしねこ」


3回優しくなでると願いが叶うのですって。




日本海の荒波にもまれて丸くなった石を特殊な絵具で絵付けして、艮神社でお祓いをうけた後、晴れて「福石猫」になるそうです。

ソニーのミラーレス一眼「SONY・NEX-C3」のCMで北川景子がきてました。

北川景子 尾道を訪ねる。(SONY公式サイトにとびます。)




「SAKABar」

営業時間:夏季20:00頃〜23:00頃 冬季19:00頃〜23:00頃休館日:日〜木 (金土の営業)









和子が夢の中で襲われるシーンなどで登場した、 通称「タイル小路」

、“タイル小路”の名の由来ですが、

写真をみるとわかるように、地面にタイルが貼り付けてあるからです。




近所のおじいさんが集めたタイルを貼り出したのが始まりだそうです。





蛇口の位置が同じです。



映画で有名になり、ファンが持ち寄ったタイルを貼るようになったらしいのですが、



現在はファンの貼ったタイルはすべて剥がされていました。


騒音問題も含め、色々と問題があったようです。

大林監督からのメッセージがありました。







千光寺公園の展望台に登るロープウェイ稼動していたので

せっかくなので乗りました。




昨日は歩いて登ってきた。

「千光寺公園展望台」

昨晩心的外傷をうえつけられました。

とんだ失恋レストランです。



「3F展望台は御自由に...。」


夕べは見逃しました。


窪塚ダイブを決行するところでした。

手前が尾道市で対岸が向島です。

福山重機の工場が見えます。

「時をかける少女」で和子が通う学校のロケ地

長江小学校を下りのロープウェイで発見しました




「尾道映画博物館」

市役所の向かいに最近出来た公共博物館です。

小津安二郎の作品を資料を交えて紹介しています。

ラストシーンで、斎藤一夫と斎藤一美が別れた場所

尾道市役所前の道路


「サヨナラ、オレ」



「サヨナラ、あたし!」



通称「尾道のガウディハウス」、


あるいは「和製ガウディ」。なんと建築されたのは昭和8年、1933年とのこと

子連れママの井戸端サロン 北村用品店

ここも尾道空き家再生プロジェクトが手掛けた


子づれママのためのサロンとして再生させた建物です。