2013年7月23日火曜日

広島旅行⑪ 尾道ゲストハウス あなごのねどこ



呉の次は

尾道に向かいました。

最初に乗った電車で

懐かしいの発見しました。



昔のつまんで

下からあげる窓でした。



それでですが、


知ってる人は知っていますが

知らない人は知らないことで、



呉から尾道まで

電車で約二時間の距離なのです。

なので、広島旅行に来た人が

その遠さを知らなくて


観光をあきらめるケースが多々あるのを


私は事前にこの旅行前に

その情報得ていましたので、 



余裕をもって二泊三日にしていました。



海田市駅で乗り換えます。

「カープの応援へは公共交通で!」と中吊り広告。





この電車は、

上側しか開かない窓でした。


呉駅で駅員さんに書いてもらったメモです。



JR尾道駅に到着。

駅舎の向こうに、お城が見えますが


JR尾道駅構内にある

観光案内所でパンフレットもらいます。

私にとっての

尾道のイメージは

「尾道三部作」

なのです。




まずは今晩の宿をめざして



駅の改札を出て

東へ線路沿いに歩きます。


林芙美子像

すると銅像ありました。


暗い現実と人間の苦悩を生々しく描き、
流浪する虚無的な詩情を漂わせる作風が特徴の作家さんで、


昭和26(1951)年過労のために急逝されました。
(満47歳没)


うどん奥山

尾道の本通り(センター街)歩きますと

不思議なお店を発見。


でかでかと「うどん」と書かれているのに 

下を見た次の瞬間、

「うどんありません」と書かれたTシャツが、

なんでも

うどん打つのが面倒になったので飲み屋に転向したから「うどんありません」なのだそうです。



大和湯


平成元年まで銭湯として現役だったそうですが、

現在は  ”ゆーゆー”というお土産さんとカフェとなって

 尾道の名物だそうです。


観光地には必ずある

「真実の口」

来年6月にローマに本物を見に行きたいです。


まちあるきインフォメーション

以前までは、尾道で二番目に古い電気屋さんだったそうです。

尾道では有名な歴史あるオバQだそうです。


着きました。

この奥がこの日宿をとる


尾道空き家再生ゲストハウス「あなごのねどこ」


商店街に面している側は. カフェ&バー「あくびカフェ」です。





江戸時代の商家は間口の広さで税金が決められていたので、

間口は狭く、奥に長い家が多かったそうで


そういう家を昔からよく【うなぎの寝床】と例えられていますので、





なのでそこを


尾道の特産品の【あなご】に名前をすげかえた


ドミトリー形式のゲストハウスです。




小学校の廃材を使って再生された「旅と学校」がテーマのカフェだそうです。





小学校がコンセプトなので1時間に1度、

「キーンコーン♪」と、学校のチャイムがなります。





下駄箱を再利用した棚の中には

「地球の歩き方」などの世界各国のガイドブックが置いてありました。


各テーブルには

外国紹介の絵本と

出席簿のメニューがおかれています。


食器もアルマイトでノスタルジックな給食を演出しながらも

ものずごくオシャレなんです。

その中で

異彩を放つ一冊の本見つけました

その名も


「まさこコミックス」

まさこコミックス五月号1985年 定価、売りません


 愛ちゃんヨロシク

円石雅子




受付で


チェックイン済ませました。




それで、

ドミトリー側の紹介は

次回にしまして、


最後に


NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」


とは何なのか?を少し書くのですが



大地の芸術祭の越後妻有どうように


昨今、尾道も空洞化と高齢化が進み、


空き家が数多くなってきてしまっているので、






それらの空き家を再生し、


新たに活用して尾道を活性化させよう!



そんな素敵なマニフェストのもとに集まった


新進気鋭のアーティストさんなどで形成された若きセイントたちの表象です。







この場所は


「まちづくりのためになるなら」


と言いう大家さんからの恩恵で


お安くお借りできたのだそうです。



しかし大変だったのが、


あなごのねどこの敷地は100坪以上あり、

今まで「尾道空き家再生プロジェクト」では初めての大型物件で、

ゲストハウスには消防設備をはじめ設備投資も必要だったりして



許可関係の手続きなどでご苦労されたそうです。






バックパッカー的な若い子や外国人にも来てもらえるようにして、

尾道に新たな観光客の市場を開拓していきたい

そんな願いで

若い人が安く泊まることのできる宿泊施設とカフェに改築されました。






「 あなごのねどこ」



泊まった様子は近日あげようと思うのですが、







ふと今、脳裏を嫌な戦慄が走り




感づいてしまいました・・。








もしかしたら







今までここに宿泊した客のなかで、












39歳私最年長だったんじゃないでしょうか?





2013年7月22日月曜日

広島旅行⑩ ヤマトギャラリー零(ZERO)

大和ミュージアムでもらった観光地図に

松本零士先生の「宇宙戦艦ヤマト」のギャラリーが

呉市の中心部にあると載ってたので向かいました。







私は大の方向音痴なので



道行く過程で


中学生の男女に地図を見せて

この場所にはどういったらよいのですかと



たずねました。


私が、


「ほら、ここはあの松本零士のー」


と付け加えると








「えっ・・知りません」




えーー!松本零士知らないの?


驚きました、

呉といえば、ヤマトが名物なんじゃないですかと

そのおひざもとの中学生に先生認知されていないとは・・。



私は少し動揺しながらも、とりあえずこの地図でいうと今どこらへんで、

ここあたりにはどうやって行けばよいのか尋ねると

二人は親切に説明してくれました。












道行く途中、



「海軍さんの珈琲」


に目がとまりました。


「横須賀や、佐世保、舞鶴などでも「海軍カレー」などが売ってますが、

   「海軍さん」と「さん」付けしているのは






れんがどおりというアーケード内に

入ります。




商店街のアーケードに松本零士作品イラストのタペストリーが。



ヤマトギャラリー零に到着。



大和ミュージアム三階にあった松本零次特設ルームから
こちらに移転されてきました。


NPO法人「くれ街復活ビジョン」という団体が

大和ミュージアムの姉妹館として

開設したものだそうです。


入場料は¥300‐でした


4階建てのギャラリーには、松本さんの作品のパネル


宇宙戦艦ヤマトの模型や


創作の原点となった幼少期に読んだSF小説や科学の本などを展示していました。



アルカディア号の隣の本は昭和25年発行の

「大宇宙の旅」

松本少年を天文学、宇宙物理の世界へ導いた物語形式の天文学入門書



「星よきえないで」など、

まだペンネームが松本あきらの時代の作品がありました。


三葉虫化石と古代魚化石

松本さんは、最新科学の初見を得ながら

原始地球を夢想する標本を収集なさってます。




シアタールームでは松本零次の生い立ちなどを紹介したムービーと




「はやぶさ」の話二本が繰り返し上映されてました。







アナライザーの実物大


最上階には松本零士作品が読み放題のカフェ






4F 多目的ルームで


平成23年3月12日から8月31日(予定)まで 


「はやぶさ」 “60億キロの旅”展 を開催してました。




そもそも小惑星探査機『はやぶさ』の名前の由来が

先の大戦の陸軍戦闘機「隼」からきているそうで、


その設計者である糸川教授から

小惑星に「イトカワ」という名がついたのだそうです。





松本零士の父は陸軍航空隊のパイロットでした。





練馬タワー構想(原画)

東京スカイツリーの建設地として選ばれなかった練馬区が、

「としまえん」内に建設を予定していた、松本先生がデザインした

「東京ワールドタワー」の原案ありました


しかし残念ながら計画は頓挫したそうです。



一階エントランスには等身大の森雪がいました。



しかし、

宇宙戦艦ヤマトのストーリーが今考えると相当鬼畜なのが、


総乗組員数は114名なのに対し


女性乗組員は森雪ひとりだけという



しかもすでに古代進の恋人だという



一年間という長い旅路で


ほかの男たちはどんな思いだったのでしょうか?




松本零士先生。



今年9月のキャプテンハーロック劇場公開などの話題性で



地元の中学生にも


その名が広く伝わるとよいですね。