六本木ヒルズ「ボストン美術館展」、
三菱一号館美術館「マネとモダン・パリ」、
国立新美術館「オルセー美術館」
横浜美術館「印象派とエコール・ド・パリ ポーラ美術館コレクション展」、
「ドガ展」
国立新美術館「ゴッホ展」、
その中で、私は三つ観にいけました。

横浜美術館の設計は代々木第一体育館や東京都庁舎第一本庁と同じ丹下健三です。
2・3階が吹き抜けのグランドギャラリーと呼ばれるエントランスがあり、左右に展示室があります。左側が常設展で、右側が企画展で使われます。
印象派〔モネ、ドガ、ルノアール、ピサロ、シスレー、〕
新印象派〔スーラ〕
後期印象派〔セザンヌ、ゴッホ、ゴーガン、ロートレック、〕
とに分類されるそうです。
《 サン=マメスのロワン川 》 1882年 アルフレッド・シスレーアルフレッド・シスレー( 1839年 - 1899年)は、ピサロに「 印象派の中の印象派 」 と称されるほど終生、、印象派らしい風景画に固執し続けた画家です。初期の頃の絵は、その色彩が地味で暗い感じの絵が多かったのですが、晩年は多彩で明るい色使いに変わっていきました。
《 ロワン河畔、朝 》 1891年 アルフレッド・シスレーモネやルノワールは晩年には、巨匠として高く評価されましたが、シスレーは死ぬまで高い評価を得ることはなく、1899年に60歳で亡くなります。経済的環境は年をとるほど苦しくなっていき、認められない辛さ、悲しみとかあったはずなのに、絵は爽やかな明るい色調に変わっていったのはどうしてなのか?
どういった心境、心もようがあったのでしょう。


二つ目は、ブリヂストン美術館、「セーヌの流れに沿って」展が、12月23日まで開かれているので行きました。
最初は「日本生命」の建物として造られました。
竣工は、77年前の昭和8年(1933年)です。「高島屋」は日本生命から賃貸という形でこの建物に移転しました。現在は高島屋に所有が移っています。
ルネッサンス様式を基調としています。
2009年6月30日、百貨店の建物としては日本で最初の重要文化財の指定を受けました。建設は高橋貞太郎で旧前田侯爵邸や現在の帝国ホテルなどの設計で知られています。


アルフレッド・シスレー「サン=マメス六月の朝」1884年、ブリヂストン美術館所蔵
アルフレッド・シスレー「サン=マメス」1885年、ひろしま美術館所蔵
第2章:「セーヌと都市風景—パリ」
アンリ・ルソー 《サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島 1888年 世田谷美術館

藤田嗣治 《巴里風景》 1918年 石橋財団ブリヂストン美術館
クロード・モネ《花咲く堤、アルジャントゥイユ》(ポーラ美術館)

ひろしま美術館所蔵アルフレッド・シスレー「サン=マメス」
この2点の図版を見ながらセーヌ川の流れに沿った展覧会が出来ないかと考えたのをきっかけで開催されました。
全て「セーヌ川」に関する約130点の作品を日本国内の美術館から集めたのだそうです。
展覧会は五つの構成で、作品を展示していました。
第1章:「セーヌ上流とロワン河畔 」
アルフレッド・シスレー「サン=マメス六月の朝」1884年、ブリヂストン美術館所蔵
アルフレッド・シスレー「サン=マメス」1885年、ひろしま美術館所蔵第2章:「セーヌと都市風景—パリ」
アンリ・ルソー 《サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島 1888年 世田谷美術館
アルベール・マルケ《ポン・ヌフとサマリテーヌ》(ひろしま美術館)
藤田嗣治 《巴里風景》 1918年 石橋財団ブリヂストン美術館第3章:「印象派揺籃の地を巡って」
クロード・モネ《花咲く堤、アルジャントゥイユ》(ポーラ美術館)第4章:「ジヴェルニーと芸術家村」

クロード・モネ《セーヌ河の朝》(ひろしま美術館)
第5章:「セーヌ河口とノルマンディー海岸 」


ギュスターヴ・クールベ《エトルタ海岸、夕日》(新潟県立近代美術館・万代島美術館)
モーリス・ド・ヴラマンク 《曳船、ルーアンにて》1912年 諸橋近代美術館
モーリス・ド・ヴラマンク 《曳船、ルーアンにて》1912年 諸橋近代美術館最後に昨日、「ゴッホ展」に行ったのですが、また長くなるので次回にします。
私は、外でお酒飲むの好きじゃないので、再開したら写真だけ撮らせて欲しいです。
ワシントン軍縮条約によって三笠は廃艦が決定しましたが、国民から愛された三笠に対する保存運動が勃興し、現役に復帰できない状態にすることを条件に保存されることが認められ、大正14年に記念艦として横須賀のこの地に移艦されました。
1905年以前の後部甲板
大東亜戦争で日本は敗戦し、連合国軍に占領されていた時、戦艦としての機能のない三笠までもをGHQは解体しました。兵装や上部構造物は全て撤去され、取り外せそうな金属類はほとんどがガス切断により持ち去られてしまいました。艦上にはアメリカ軍人のための娯楽施設、ダンスホールと水族館が設置され、おまけに士官公室が「キャバレー・トーゴー」に変わったりとの陵辱行為の嵐です。どれだけ鬼畜米英なんでしょう。
その後復元運動がおこり、昭和36年に現在の姿に復元されました。砲塔や煙突をはじめとする多くは新しく作成されたレプリカです。
興味がまったく無かったので、恥ずかしながら37年間の私の大和に対するイメージは、 

