2012年1月24日火曜日

ポーランド旅行 9 クラクフ市内観光

日本美術・技術センター・マンガ“Manggha”

バスの中からですがマンガセンターを発見しました。

ヴィスワ川のほとり、この画像奥に見えるクラクフの王城ヴァヴェルの対岸にあります。

マンガと言っても、児童向けの
いわゆる日本の漫画が展示している所というわけではなく、




一人のポーランド人

フェリクス・ヤシェンスキ氏が

19世紀末から20世紀初めにかけて収集した
安藤広重や葛飾北斎の浮世絵など約7000点の
日本美術品コレクションを展示するミュージアムです。



Feliks "Manggha" Jasieński
フェリクス・ マンガ・ ヤシェンスキ




この館の名称は、浮世絵を愛した彼が「北斎漫画」からとった
自分のミドルネーム 「Manggha(マンガ)」が由来です。






「地下水道」などの作品で知られる、ポーランドを代表する
映画監督アンジェイ・ワイダが、1987年に
日本において科学芸術の貢献者に
与えられる「京都賞」を授賞した際の賞金を元に、
寄付金を募って1994年に建設されました。


建物の設計は日本の建築家、磯崎新です。





中には喫茶「琵琶」があり、ヴィスワ川とヴァヴェル城を眺めながら
おにぎりとお茶、どら焼きがいただけます。





この日、クラクフ市内観光最後にバベル城に入ります。




マティキ広場(Plac Matejki)でバスを降りました。

歩道と自転車専用道路がしっかり分かれています。





グリュンワルド記念碑(Pomnik Grunwaldzki)


1410年にポーランド・リトアニア連合が、現在のポーランド北部のグルンヴァルト周辺でドイツ騎士団(Zakon krzyżacki)を破ったグルンワルドの戦い(Bitwa pod Grunwaldem)を記念した顕彰碑です。

Pomnik Grunwaldzki podczas uroczystości odsłonięcia 15 lipca 1910
グルンワルド記念碑の除幕式1910年7月15日


1939年、第二次世界大戦時、ドイツ軍により記念碑の台座をダイナマイトで爆破され、像はドイツに運ばれたそうです。

今の像は保持されていた記念碑の既存のミニチュアモデルを基に1972年に再現作られました。




Zniszczenie przez Niemców Pomnika Grunwaldzkiego w listopadzie 1939
ドイツ軍よる破壊、1939年11月のグルンワルド記念碑




バルバカン(Barbakan)

1498年に造られたもので、門を守るための砦です。

バルバカンは砦を意味するラテン語のバルベカーネから来た言葉です。


このような円形の砦は珍しく、ヨーロッパに現存するのはワルシャワとクラクフ、
そしてフランスのカルカソンヌの3ヶ所だけです。




フロリアンスカ門をくぐり旧市街に入ります。


フロリアンスカ門/Brama Floriańska

旧市街を侵入者から守るため、1300年に作られたものです。


門の中に祭壇がありました。



門を過ぎると中央広場につながる、フロリアンスカ通りです。

中央に聖マリア教会が見えます。


ちょっと気になる看板を発見しました。


今村美術商とあります。




中央市場広場(Rynek Glowny)織物会館(Sukiennice)

ポーランドの多くの都市が第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたなかクラクフが戦災を免れたのは 
ここにドイツ軍の司令部がおかれたためです。

中世の街並を多くそのままに残すこのポーランドの古都は、
1978年に世界遺産に登録されました。

中央市場広場は約200m四方のほぼ正方形をしており、

13世紀に造られた当時は世界最大の広場でした。




17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都でした。

当時、ボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並び中央ヨーロッパの文化都市として栄えていました。


日本でいうとワルシャワが首都東京とたとえると、

クラクフは古都京都的な位置づけとたとえると分かりやすいとの事です。





聖マリア教会(Kosciol Mariacki)

中央市場広場の東側に建つ13世紀の創建の教会で、
レンガ造りの教会としては世界最大です。

1928年(昭和3年)当時の聖マリア教会

中には入らなかったので見てないですが、ポーランドで最も重要な聖遺物とされる「黒聖母」の複製があるそうです。


聖マリア広場にある噴水はヴィオット・ストウオシ祭壇(Ołtarz Wita Stwosza)のモチーフの一部だそうです。




世界遺産に指定されている建物の横にはコンストラクション・モデルがおかれています。



2本の塔のうち、向かって左側の塔の窓が1時間毎に開いて、
時を告げるラッパの哀愁を含んだ音色が流れます。


このラッパの歴史は13世紀にタタール人がクラクフを攻めたことに始まります。
敵の接近を町の住民に知らせるために、ラッパを吹いたひとりの勇敢な兵士が、
吹いている最中に、敵に首を矢で打たれ死んでしまい、
メロディーは途中で終わってしまいました。


以来、この事を悼んで、聖マリア教会の塔から24時間、
1時間ごとに、クラクフの消防士によって当時のメロディーが吹かれることになったのです。


800年近く続けてきたということが凄いですよね。




こどもたちが手をふってます。


アダム・ミツキエヴィチ像(Adam Mickiewicz statue)

アダム・ミツキエヴィチはポーランドを代表するショパンにも影響を与えたロマン派の詩人だそうです。

旧市庁舎/Wieźa Ratuszowa

高さ70mの旧市庁舎の塔です。


1820年に取り壊されて、そのときこの塔だけが残りました。


このオリジナルの模型を見てもらえば解りますが、



もともと塔以外の建物もあったのですが、現在では塔だけが残されています。




広場にはポーランド名産のプレッツエルがそこら辺で売っていました。

本当にいたる所にです。



織物会館の一階は土産物屋が並んでます。


ポーランドで有名な琥珀屋さんが沢山ありました。


私も子供たちにまねてポストカードなど買いました。


そして私、



お土産タイムの時間



ぼっち一人ときを持て余したので



ナンチャンを探せ!的な事を思いつき一人結構しました。



この画像のどこかに“あひる”がいます。






どこでしょう?























Dobranoc. (ドブラノツ)=おやすみなさい。





2 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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  2. なんだよーーーーっ

    コメントあったと喜んだら、なんかのサイトの宣伝じゃないかーーーーーっ


    でも、なにもないよりありがたいので、


    これからもよかったら遊びに来てください!!


    ありがとうございます。。

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