2010年6月7日月曜日

軽井沢旅行、其の肆

ホテルルートインコート軽井沢

ビジネスホテルに泊まるのは初めてだったのですが、自分的には満足でした。部屋はせまいですが必要な物が最小限のスペースに効率よく配置されていてよく考えているなぁ~と感心しました。大浴場も清潔で気持ちよく、夜は1000円で借りたノートパソコンで明日どこに行くか検索できたりして本当に便利でした。朝食もバイキング形式でおいしく、これで宿泊料6500円なので、自分的には大満足でした。

ただ、軽井沢駅からは遠く、市街地からも離れているので今回車じゃなかったら大変だっただろうなというのと、私もだれかと一緒に行く旅行とかだったら、星のやとかのほうが本当は良いです。

ドライブイン軽井沢
ウルトラシリーズの地方ロケとかで出てきてそうな70年前半辺りに建てられたであろう、とても興味をそそられるドライブインを発見したのですが、10年ほど前に廃業して廃墟と化してました。中に入って写真撮りたかったのに、残念です.


聖パウロカトリック教会
建築家、アントニン・レイモンド氏によって設計された木造の教会。1935年(昭和10年)に建てられました。面白いと思ったのはこの教会で挙式を上げるのには三つ条件がありまして、
1.まえに離婚していないこと。(死別の場合は除く)
2.両親が賛成していること。
3.式に保証人が二人列席すること。(お二人のみの挙式は出来ません)

2度目の人は駄目とかなんか良いです。

でもそうですよね・・・

一生愛しあうことを誓いますか?で「はい。」っていって破っているんですものね、

神の誓い。

教会としては正しい姿勢です。
西郷輝彦と辺見マリ、林隆三と青木一子、吉田拓郎と四角佳子などここで挙式しました。

全員離婚しています。

傾斜の強い三角屋根、大きな尖塔、打ち放しのコンクリートが特徴です。

挙式、礼拝中は入堂不可ですが、7~18時(冬期は日没まで)自由に見学ができます。
東京ジャーミイ の時もそうでしたが、どうやら教会というのは朝から夕方まで、いつでもどなたでも自由に見学できる所が多いみたいです。
日曜日の朝は教会に行くような家庭に憧れていました。


小さなカルタ館
神保町にある「奥野かるた店」が、夏季のみ営業している大正時代の別荘を改築して作られた、百人一首や郷土かるた、花札、トランプ、カードゲームの資料館です。

木内建設株式会社、軽井沢保養所
   

旧軽銀座の周りが別荘であふれかえっていたので巡ってみました。各別荘の前には番号の立て札があって別荘番号というそうで、郵便局が番号を付けています。昔、ナンバーハウスといって別荘番号をもつのがステイタスだったので、別荘所有者が「別荘番号設定申請書」を郵便局に提出して、郵便局から番号をもらい、その番号を表札代わりに立てているのだそうです。

別荘番号612、 Cafe&Ristrante A'dagio (アダージオ)
林の中の別荘街の中に隠れるようにイタリアンレストランがありました。
夏の夜、自分の別荘から徒歩で優雅にこの森の秘密のイタリアーノレストランに訪れ、上手にナイフとフォークを使って飯を食らうセレブリティを想像し妄想したのですが、確実にそのような現実がテレビ画面の中でなく、避暑地の現場では起こっている事象を私はまだ信じられません。だってまだ実際にこの目でその場面を見たって訳じゃないんだもん。


別荘番号 567 堀田

別荘番号618

旧軽井沢、愛宕(あたご)
別荘番号 611 喜山、寺田


STUDIO 羽65 黙想の家
染織作家さんのギャラリー&アトリエで、陶芸、ガラス作品なども置かれています。この「黙想の家」という建物は、宣教師が夏の家として使っていたそうです。

ヒエラルキーの上部にいる方々の苗字が記されています。自分の別荘番号を持つことは上流階級の嗜みなのでしょう。
様々な別荘を眺めているとだんだん虚無ってきました。無意識に口からでる言葉が「バブってる」で、夜には東京のウサギ小屋に帰ることを考えると、これはなんてプレイなのかと考えさせられました。

軽井沢ショー記念礼拝堂
英国聖公会の宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーさんが始めた教会。木造の小さな教会で、フランダースやマルコなどのカルピスこども劇場の中で見た、素朴で飾らないだからこそ「本物」を感じさせる佇まいです。十字型に作られています。

ショーハウス記念館
A・C・ショーさんが軽井沢に建てた最初の別荘と言われているものが移築復元されています。



別荘番号640
共有別荘とか貸し別荘っぽいです。テニスコートがあります。

2 件のコメント:

  1. ドライブイン軽井沢さんは現在売りに出されています。

    往時は、観光バスが沢山止まって、賑やかなドライブインでした。

    中は普通の造りで、1900年代で既に建物は老朽化していました。

    一階が売店で、二階が団体客用の広いレストランです。

    右端の緑の屋根の場所が入り口で、真っ直ぐ行くと二階に上がる階段があります。

    寄る度に、野沢菜漬けを貰った記憶があります。

    長野新幹線の開通が影響したのかもしれませんね。とても残念です。

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  2. コメントありがとうございます。

    こちらが全盛期だったころの家族連れカップル老若男女男女人で

    ごった返したその光景を想像してみました。

    私は岡崎 友紀さんの大映テレビ制作コメディドラマのあの時代世界観が大好きなので、

    60年代後半、70年代前半ぐらいの「もはや戦後ではない」と言われた頃の日本に

    タイムスリップしてみたいです。

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