2013年7月3日水曜日

広島旅行⑦ 大和ミュージアム

フェリーで宮島口桟橋まで戻ります。

今度は呉に行こうかと

またJR 宮島口駅まで向かいます。

行きといっしょで、

何故か皆さん駅まで

走ってるので思わず私も追いかけました。


広島駅まで戻って

乗り換えて呉目指しました。




電車内広告で、大地の芸術祭で農舞台の高台にあった
毒々しい花と似ているオブジェに目がとまりました。

鹿児島にある野外美術館「霧島アートの森」にある草間彌生さんの作品でした。



いつの日か鹿児島にも行ってみたいです。




水尻駅のホームに秘密結社『鷹の爪』の

広島名産のカキにひっかけてあり『酔って迷惑カキないで』編マナーポスター貼ってました。




 JR西日本さわやかマナーキャンペーン2011の第5弾です。


呉着きました。

海軍工廠跡地では、現在

大型民間船舶の建造を行っており、

艦艇建造はしていません。




左の建物が大和ミュージアムです。

今回はここ見学します。



正面に見えるのは海上自衛隊呉史料館に展示されている潜水艦あきしお(2250t)です。


あそこに入った過程は来週ブログに書こうと思います。



ミュージアムの前の赤レンガ広場に野外展示されているのは

大和のものではなく

日本海軍の象徴として日本国民から親しまれた戦艦陸奥(むつ)ので、



写真手前から

艦尾旗竿、

主錨、
(大和の主錨はこれより大きいそうです)

主砲、

スクリューです。



“41センチ主砲身”  ここにあるのは、

後部3番砲塔と説明が、  

 東京お台場“船の科学館”にも展示されています。


大和ミュージアムはいわば愛称で、正式名称は

呉市海事歴史科学館


入館料は一般(大学生以上)・・・500円

高校生・・・300円

 小・中学生・・・200円

呉市内に在住在学の高校生以下は無料


会場内は、バリアフリー設計なので、

乙武さんもツイッターで愚痴って炎上する心配はありません。



この時は

企画展「海軍記録画」開催してましたが、


撮影不可でした。


館内入ると建物中央の一番目立つ場所に

制作費に2億円以上をかけたといわれる戦艦「大和」の1/10の模型が鎮座してました。


しかし、


CADも無い時代にこれほどの美しいフォルム作ってたのが驚きです。


このレプリカ大和も、なにわの海の時空館の菱垣廻船みたいに

造船所で建造されて進水式すませてから

この建物作る前に船を入れてから

大和ミュージアム完成させる方法とってました。




レプリカ大和の前で説明している方がいらっしゃったのですが、

この船は「近代化産業遺産」に認定されるほど

とにかく凄いんだよと熱く語っていました。




大和は当時の日本の技術の総決算で作れた証として

意外にコンパクト(7万トン以下に)に纏め上げられた戦艦と当時から評価されてます。

当時の技術者も「如何に大和型をコンパクトに纏めるか!」に苦労し、

日本戦艦中最大でありながら日本戦艦中最小の旋回半径を有する性能だったそうです





石坂浩二さんが「なんでも鑑定団」に出品されたところを自ら購入しその後ミュージアムに寄贈したという戦艦「長門」の軍艦旗は、だして飾っておくと痛むので

ガラスケースに入ってました。


大和の主砲を打つ前は甲板に人がいると衝撃で内臓破裂してしまうぐらいの強烈で、

最大仰角45度で主砲発射すると40キロまで届くものだったのですが、





遠くまで飛ばせる代わりに地球の丸さが仇となったて着弾は難しかったそうです。






昭和20(1945)年4月7日,沖縄特攻作戦

海軍大将伊藤 整一(いとう せいいち)は


「制空権・制海権もなしの出撃は、沖縄に到達すべくもなく、それを承知の上で、7000人の部下を犬死させる訳にはいかない」と強硬に反対するが、

連合艦隊参謀長 草鹿龍之介中将の

 「 一億総特攻の“魁”となって頂きたい 
さきがけ


との一言で作戦を承諾します。







軍航空隊336機による往復波状攻撃を受け




昭和20年4月7日・・14時23分大爆発で沈没

伊藤は艦長の

有賀幸作大佐と共に退艦を拒否し戦死

乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。





大和作る費用は当時の金額で1億4287万円だったそうで、

現在に換算すると約2604億762万円、
大和一隻分の費用で東海道新幹線全線が完成できるそうです。





で、


ちょうど10時からの展示解説ツアー


参加しました。




日本全国を調査した結果、


海軍の拠点「鎮守府(ちんじゅふ)」が


横須賀、

舞鶴、

呉、

佐世保




4つの地点に設置されました。








呉はその中心のひとつに選ばれました。





三方を山に囲まれ、

防御力に優れた土地であるなどの利点があったためです。


戦艦「金剛」のヤーロー式ボイラー(本物)

金剛はこの巨大なボイラを36基を搭載していたそうです。

それが大改装時に撤去され、陸用の暖房ボイラとして戦前は海軍技術研究所、戦後は科学技術庁金属材料研究所で1993年(平成5年)まで使用されていたので現存していました。

それが大和ミュージアム開館にあわせ寄贈されました。


しかし、80年もボイラーとして現役だったとはすごいです。



列車に乗ってる人が作ってるとこ見えないようにしたりと

以下に大和は国家秘密であったかを伺えます。


恒例の軍艦マーチ吹奏等による進水式の華やかさは無く、

歴史的な進水は厳粛に行われました。


設計図面

完全な秘密主義で設計図を細かく分け

作ってる人はその部分しか構造わからないようになってました。



何百枚もある設計図は終戦前

アメリカに技術盗まれまいと

ほとんど燃やされたそうですが

奇跡的に保存していた人が後世現れて

ここに展示されています。





戦艦大和級用探照灯の反射鏡

予備品として残存されていた本物で

当時これだけのものはアメリカには作れなかったそうで、

こちらも「近代化産業遺産」に認定されています。


カタパルトのゼロ戦を飛ばすレールの技術は後に新幹線の台車部分に応用され、

高速走行時の揺れを和らげる走りを生み出したとムービーで流れてました。

この時、

主砲塔の回転技術は日本初の超高層ビル、

ホテルニューオータニの360度の回転展望に応用されたりと

以下に当時の日本の科学の粋を極めた結晶が大和だったと

熱くガイディング受けました。

今では「戦艦」という分類での現役軍艦は世界に存在しないそうです。



艦載機を飛ばせる空母か、少し小型のイージス艦や駆逐艦が海上主戦力だそうで、

でかい大砲を積んでその砲弾の発射反動に耐えられる
かつ自身の大砲と同じレベルの被弾があっても耐えられる


そんな巨大な船体を持つ戦艦というカテゴリの艦船は、とうの昔に時代遅れになって
戦艦を作るには莫大な費用がかかるから沈没した場合の損害が大きいし


そもそも大艦隊同士の激突は起こり得ないから、作ったとしても出番が無い。


だから、戦艦は今は無いのだそうです。



後世、



大和は



日露戦争でバルチック艦隊に勝利したことが忘れられないが故の


時代遅れの「大艦巨砲主義」だったと言われることありますが。





 大和竣工当時は核抑止力ではなく 


「戦艦抑止力」全盛期という時代でしたので、




今となってだから簡単に間違ってるとか

おかしいとか

そう考えられるパラダイムシフトであったのでしょう。






呉海軍工廠で作られた船の写真が並んでます。

驚いたのは

最後に作られたのは

材料ないので

なんとベニヤなのです。


呉から見えた

キノコ雲です。



あれはアメリカの原子爆弾だとの電報が残ってました。






戦後、船が作れなくなったので

呉の人たちの仕事がなくなり、

戦火で家もないので

打ち上げられた戦艦内で生活する人もいたそうです。


あそこで大和作られたと

ガイドさんの手の先を見ます。

大和のふるさと



この展示室のものは綺麗に復元はしていますが、

すべて本物です。



特攻兵器「回天」十型 試作型

、「回天」は潜水艦から発射された後は、敵艦艇めがけて突入するもので

生還の可能性はありません


太平洋戦争の末期、「天を回らし、戦局を逆転させる」 という願いを込めて、

人間魚雷 回天は誕生した




そうです・・。







黒木博司(くろきひろし)

仁科中尉(当時)らと人間魚雷構想を血書にて嘆願。

航走訓練中、大津島沖にて殉職しました。享年24歳。


仁科関夫(にしなせきお)

黒木大尉(当時)らと「回天」を考案し、

昭和19(1944)年11月、菊水隊(きくすいたい)として

ウルシー湾へ突入しました。享年21歳。


塚本太郎(つかもとたろう)

自ら「回天」搭乗員に志願し、昭和20(1945)年1月

金剛隊(こんごうたい)としてウルシー湾に突入しました。享年21歳。 

神風特別攻撃隊を実際に見た元米兵の感想です。



潜水艦内の空気の悪さでガス中毒になり倒れたことにより生き残った竹林博さん(回天特攻要員)

「戦争の再現は望まないし美化もしないし命も粗末に考えないが、日本のためどんなものでも行くという思いで殉じた若者がいたことを正しく歴史に刻みこんでほしい」と戦後語っています。


零式艦上戦闘機六二型

通称、零戦62型


琵琶湖で発見された不時着水没機です。

零戦としては最終期(昭和19~20年)のもので、特攻などに多く使われた頃の機体です。

日本に一機の本物ゼロ戦(零式艦上戦闘機)だとか。






1944(昭19)年、レイテ沖海戦の時 海軍は零戦に250キロ爆弾を搭載し体当たりする

 神風特別攻撃隊を出撃させるという暴挙にでました。





しかし、

なんで特攻で死んでいく人は20代前半以下の

若い人たちばっかりなのでしょうか?


















特殊潜行挺「海竜」 後期量産型

「海龍」は世界初の有翼潜水艇。

ガイドさんがいいました。

「これは人を乗せて帰ってくることができます」




いちばん左が「大和」の主砲46cm弾


そして

ここで

ガイド終了しました。


ガイドさんの言葉で


つよく印象響きましたのは


負け戦だとは重々承知で戦艦大和、

沖縄に特攻していった本当の理由は






このまま日本負けて


大和を鬼畜米兵に


むざむざ捕られてしまい


言い様に扱われ身を悟られてしまうなんて


そんな仕打ち辱めを受けるくらいなら



特攻で自決の道を選び汚れなき死す道を選ぶ。






是非とも



見学するなら館内のボランティアガイドをうけてほしいです。








3F 体験施設


3F 大和シアターでは

フルCGの大和の映画とJAXA(宇宙航空研究開発機構)の地球観測衛星「だいち」の紹介映画が流れていましたが

なんでもここは開館当初は「大和」つながりで、宇宙戦艦ヤマト関係の展示室だったそうですが、

同じく呉市内に「ヤマトギャラリー零」が開館したことにより、展示物がそっちに移ったそうです。

ミュージアムの海側は、「大和波止場」となっています。

戦艦「大和」の上甲板左舷を原寸大のウッドデッキで模擬しており、

大和のサイズが実感できます。

ミュージアムショップやまと




呉ご当地ビール「海軍さんの麦酒」ありました。

飲んでみたかったのですが、

まだ、昼前だし、

次行かなきゃと断腸の思いで断念しました。





私は博物館好きなので、

それなりに巡ってるつもりなんですけども


これだけの規模、

貴重な展示数で

大和ミュージアム入場料500円とは

相当お安いです。






2 件のコメント:

  1. あら、私のビール?(笑)

    この博物館は、展示してる物が物なだけに、
    とんでもない規模がありますね。

    素晴らしい技術力。
    それを平和に使いたいですね。

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  2. この場所は、

    悲しい過去を振り返り、そして繰り返さない

    けして忘れないための戦争を教えてくれただけではなく、

    当時の日本人の誇り、気高さ、日本人の優れた技術力が知れて

    同じ国籍であることに観光で来ている外国人に対して

    どうだふふんっと鼻が高くなる気分になりました。

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