2015年12月30日水曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー85 ローテンブルクからフランクフルト




はい。

これが

今年最後の更新になります。










































はっきり言って

自分のなかで

この

ブログに対する依存度そうとう低く

無くなって

しまっています。

文章書くのがうざい

あげた後

自分でも見ない

モチベーション

が変わりました。


これ打ってるのもめんどくさい

そんなのに誰が

見に来てくださるんだと


もう辞めたほうがよいのかなと

最近思うようになってきました。

でも

もう9年近く続けてきた

週一での

この行為

まだ

止めたくはないのです。





だれかに

見てもらいたい

とかの

気持が薄れていることが

この

ブログが


衰退している事実なことが


まぎれもない真実

でも

自分のブログなのだから

書きたいときは書くし

その気じゃないときは

無理しなくてよいのかなと

まずお金もらってるわけでもないですし

逆に毎月

5ドルグーグルに賃金払ってるのは

むしろこっちの方なので

好きにさせてもらいます

自分のブログなので


書きたくなったら

書くんじゃないでしょうか

で、

来年アメリカは

この一か月ヨーロッパよりも

複雑で難しい


大変険しいことにはなると


わかっているのです

今年厄年42歳

そろそろ終わろうとしている

ほどの期間

ゆーあびる

やってきました

自負が私にもありますので




そろそろ



「冒険してもいい頃」



目標を持たないと生きていけません。








泊まったホテルー





1200年頃に建てられたという、レーダーアーチ・マルクス塔は

修復中で隠れていました。



レーダー門をくぐって

旧市街をでます。

左右のぷっくりした小さい建物は、監視小屋兼税関として使われていたそうです。








あんまり美味しくなかった。

車両二両の小さな駅です。






ウホッ! いい男…

































乗り継ぎでフランクフルト来ました、

ハイジ関連でこれてよかったなと


皆様どうぞよいお年を


7 件のコメント:

  1. 自分の書きたいときに更新して下さいね。
    テラ戦士サイBOYが好きなのを見て親近感わきました!
    古着でコメントした40代のもより。。。。

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  2. コメントまことに幸甚の至りです。
    「テラ戦士Ψ BOY」は邦画屈指の夢のある
    クンストメルヘン秀逸なジュブナイル作品、
    当時ベータビデオに録画して擦り切れるぐらい繰り返し見ました。

    はい、これからもあいかわらずたいしたこと書けませんが
    自分が気持ブログに向いた時に無理なく更新したいと思います。

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  3. 菊池桃子が大好きだったぼくでも
    映画館で見たとき、絶句した映画でした(笑)
    デビューのパンツの穴は、今見ても
    くだらなすぎで笑えるのですが。。。
    テラ戦士もゆがんだ笑いで見れますが。
    またコメントさせてください。どうぞ宜しくお願いします!

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  4. ちょっ!!!パ★テ★オ?(1992)
    私は真面目に"テラ戦士Ψ BOY"は日本映画界にとって名だたる
    不朽のB級アイドル映画であると身命を賭すほどに誇りをもって言っているのです!!。

    このブログのURLをご覧になられたらお察しになるとは存じますが、
    私は斉藤由貴サイドの人間ですので、1985年3月11日付のチャートで、
    1985/2/21発売の斉藤由貴デビューシングル「卒業」が10位で、
    なぜに菊池桃子の1985/2/27リリース「卒業-GRADUATION-」が1位であったことに
    いまだに31年たった現在でも 遺憾の意を示しておるのです。

    ですが、そんな当時アンチ菊池桃子であった私でも

    日本テレビ『金曜ロードショー』で1986/07/04に放送された『テラ戦士ΨBOY』
    を観たときにブラウン管に映し出された其の頃セブン-イレブンで発売されたばかりの
    ブリトー食べたい!!モモコが危ない!!と「ディラスポーラ」のメッセージのもと、
    集まった6人のエスパー達の死闘を繰り広げる
    ハラハラ痛快ミラクルスペクタクルファンタジーに一瞬でとりこになりました。

    それからというもの「ジーク・モモコ!」「ジーク・モモコ!」
    『Momoco』(学研)を立ち読みするようになり、
    実際に「アイドルを探せ」(1987)を劇場に足を運んで見に行くようになりました。

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    1. URLはご本人のお名前かと思ってました。
      まさか、卒業式で泣かない@斉藤由貴とは。。。。
      僕の生活圏では、ちょくちょく目撃されております(現在の斎藤さん)

      卒業みつどもえは、懐かしいお話です。
      実は同時期、倉沢淳美さんも”卒業”を地味に歌っておりましたので
      斉藤由貴さん、菊池桃子さん、尾崎豊さん、倉沢淳美さんの
      カルテットが本当なんです。

      僕はファンで当時、シングル、アルバムは必ず予約しておりましたが
      アイドルを探せ。。。。もう、映画館には行きませんでした。。。

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  5. 「アイドルを探せ」は当時、竹本孝之目当てで観に行きました。
    しかし、斉藤さんも菊池さんも凄いですよね、今でも芸能界の第一線で活躍しております。

    倉沢淳美さんは私にとってわらべでもありますし、まんがなるほど物語(相方ナルタン)での
    お姉さんという印象が強いのですが、今やドバイで富豪生活です。

    しかしあのリアルタイムでのラ・ムーの衝撃は忘れられませんよね!

    1stシングル「愛は心の仕事です」

    2ndシングル 「少年は天使を殺す」

    3rdシングル「TOKYO野蛮人」

    色々とすべてがぶっ飛んでいました。

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  6. モグタン時代はよく見てました(岡まゆみさん)
    倉沢淳美さん。。。言われてみてば。。。やっていたような。
    そんな記憶しかないです。

    ラ・ムー。当時は、ショックとレコードを買うのを辞めるきっかけを
    くれました(笑)

    ご本人さんは、気に入ってるみたいですね。昨年のライブで
    ファンの皆さんは好きじゃないみたいですが、私は好きなんですよ~と
    発言があったみたいで。

    いま、聞くとそこまで。。。変に感じなかったです(笑)
    ただロックバンドではないですよね~笑

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