2012年5月17日木曜日

ポーランド旅行 22 キューリ婦人博物館

キュリー夫人博物館(Muzeum Marii Sklodowskiej Curie)

もとキュリー夫人の生家ですので、外観は本当にごく周りの建物と同化していますので、
個人で来ていたら私間違いなく素通りしてたどり着けなかったはずです。

ツアーで来て正解です。







マリヤ・スクオドフスカ・キュリー(Marie Sklodowska-Curie)は、1867年ワルシャワ生まれ、



日本では「キュリー夫人」の名で有名ですね。


フランス語名ではマリ・キュリー(Marie Curie)



なので以下マリと略します。




放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案によるものです。


夫と共同で、また娘もノーベル化学賞をとっています。

一族4人で5つのノーベル賞を獲得しています。

マリはワルシャワの官立女学校を1883年6月に優秀な成績で卒業しましたが、
当時、女性には進学の道は開かれていませんでした。



なので秘密の内に民家で密かに開かれていた大学?(ヨランダさんが地下大学と言ってました)で学びました。


お札や切手にもなってます。

キューリ夫人札は20000ズオチで

当時インフレなのでレートは日本円にすると300円です。

ちなみにショパン札は5000ズオチで75円でした。


このときは別に何気なく展示してある鉱物をなんにも考えずに顔近づけながら
ジーっと眺めていましたが・・。




フランスの科学者アンリ・ベクレルがウランから放射線が出ていることを発見したことを基礎に、
夫ピエールと共に実験を重ね、放射線を出す物質を分離してラジウム名付けました。

この写真はたぶんですが、大正11年(1922年)に国際連盟の下に設立されたユネスコの前身、
「国際知的協力委員会」のもので、アインシュタインや、キュリー夫人が出席していた時のものだと思います。


アインシュタインはマリー・キュリーを
「あらゆ知名人の中で名誉によって損なわれなかったただ一人の人である」と称えました。





1903年に夫ピエール、アンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞しました。  

初めての女性ノーベル賞受賞者でした。




1906年4月19日、夫ピエールは馬車に轢かれて死亡しました。 


ピエールは実家のあるソーの墓地に埋葬されました。  

ピエールの死後、研究を続けるため、
マリはパリ大学初の女性教授に就任しました。

18世紀中に彼女の故郷はロシアやプロイセン王国、
オーストリアなどに圧政され独立できずにいるポーランドへ世界の眼を向けようとする政治的な考えで、
マリは初めて見つけた新元素にポーランドのラテン語形「Polonia」からポロニウムと名づけました。





キュリー博物館も放射能汚染されて見学できなかったそうで、


近年汚染除去が施されて公開出来るようにしたのだそうです。




のはずなんですけど

気になる動画見つけました。


キューリ婦人博物館内をガイガーカウンターで知らべているのですが、


結構びっくりさせられます。



えぇ・・さっきの鉱物っぅ。



これは当時、放射能による害というものの概念がなかった証明の写真ですが、

ピッチブレンド(閃ウラン鉱)からラジウム226を精製して青白い光を放っている所を普通に撮っているのです。

マリは「妖精のような光」とたとえていました。



1911年にはノーベル化学賞を受賞し、初めて二度のノーベル賞受賞者となりました。
マリはその後も精力的に活動を続けましたが、1934年7月4日、放射能の副作用と考えられる再生不良性貧血で死亡しました。

1995年、キュリー夫妻の棺はフランスの偉人としてパンテオンに移されました。  

マリはパンテオンに祀られる初の女性となりました。

1901年から始まったノーベル賞最初の女性受賞者がキュリー夫人(1903)、
2度目の女性受賞者もキュリー夫人(1911)、
3人目はキュリー婦人の娘イレーヌ・ジョリオ=キュリーです。

そして今現在、女性でノーベル化学、物理賞を受賞したのは

科学賞はドロシー・ホジキン(1964)、
物理学賞はマリア・ゲッパート=メイヤー(1965)

のお二人だけなのです。



科学の歴史にも色濃くジェンダー・バイアスが存在するようです。






私が思うキュリー夫人の一番凄いところはその知名度だと思います。

世界中の人々、

日本人でも彼女を知らない人なんていませんよね?



今までノーベル化学、物理学受賞者は合わせて200人以上いますが、
あなたは何人名前があげられますか?


わたくしなんて一応、9年前までサイエンティスト大学に通っていたくせに、

しかも物理学科の学生やってたのにも拘わらず


全然浮かんでこないのです。


そこで挫折した身だから言えるのですが、



バケ学って前の定理を理解できないと何が凄いのか理解できなくて楽しくなくなるのです。



アインシュタインの相対性理論とかは科学に興味ない人でも

「光の速度で進むと時間はゆっくり進む」などの公式分からなくても
お話だけでも食いつきやすい
インパク知(ボキャブラ天国)あれば別なんですけど、



基本一般の人には興味をもたれない分野でこれだけの名声が凄絶です。







そして最後にですが、私がここに来たのは2011年なのですが、

マリー・キュリーのノーベル化学賞受賞から100年目に当たることから

国連は「世界化学年」(International Year of Chemistry:IYC2011)とすることを決めた年でもありました。


2011年・・。


放射能の名付け親で、被爆して亡くなったキュリー夫人の生家を訪問する日本人一行、


どうしてもどこか微妙な気持ちにはなってしまいすよね。





来週もちょっと仕事が忙しいので、またお茶を濁した更新になると思います。

すみません。

2 件のコメント:

  1. 面白い記事でした。
    ガイガーカウンターの映像は、自前ですか??
    とんでもない数値が出てますね・・・。
    キュリー夫人について、色々知らなかった記事まで
    面白く読めました。

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  2. いえいえ、あの動画は私ではありません。

    私もこの動画を見たときに鉱物の所でまじまじと顔を近づけて
    眺めていた自分を思い出して、ちょっとぞっとなりました。

    ここに展示してあるのは放射性鉱物であるウラン鉱で、
    こんなに放射線でてるのに、

    日本でも普通にヤフオクとかで売っているのです。

    ものによっては比較的お安いのもあったりして
    鉱物マニアなる方々がお買い上げになられるそうです。

    ウラン鉱山による被曝問題などを考えると
    大変由々しき問題かと思うのですがどうでしょう?


    キュリー夫人は白衣のポケットにピッチブレンドを入れて
    平気で研究所内を歩いたり、素手で3トンものウラン鉱を手作業で処理したりして、
    彼女の手は荒れてカサカサだったそうです。

    実験で使ったノートからは、今日でも放射線が出ています。

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