2012年4月17日火曜日

続、パソコンを買いました。

3年ほど前に買ったノートパソコンの内臓ファンがどうやら壊れたみたいです。

考えてみれば、18.4インチの巨大ノートPCを持って途中乗り継ぎありの海外旅行に2回も
行ってること自体がおかしかったのかもしれません。




ノート用クーラーパッドを購入したので、急に強制シャットダウンすることはなくなったのですが、

いろいろと重くなってきたようで、グーグルクロームだと一度に画像をブログにアップロードできるのですが、ファイルの選択をクリックするとブラウザが強制終了するようになりました。フェイスブックでも同じ現象が起こるのですが、検索しても答えはでませんでした。

こんな流浪なブログ更新されなくてもほんとに誰も困らないのは重々承知していたのですが、


遠い異国で見てくださっている方が一人いるという現実が分かって嬉しいので


更新し続けます。


もう、この際勢いで新しいパソコン買っちゃおうと思い色々検索かけてみたのですが

現状のタイムラインだと18型以上のモニターがノートパソコンだと外国製の一つしかありませんでした。


ASUS NX90JQ-YZ007SV [18.4型ワイドノートPC NX90Jq]


左利きの人のためにとキーボードの両側にマウスパッド 付いているのですが、使うのは無線マウスですし、そのためにテンキーが無かったり見た目重視で打ちづらいそうなので除外しました。


現在VAIOでは Eシリーズの17.3型ワイドモニターが一番大きいのですが、コンセプトがリーズナブルとの事で、なんか食指が動かないのです。オーナーメードモデルで中身強化できるのですが、つめるCPUもCorei5までで、ハードディスクも750GBが最高なのです。

これでも私にとってはもう十分すぎるスペックなのですが、なんでcore i7は搭載できないのだろう?との疑問や今やT (テラ)の世紀に突入している世が末なのにと考えると、あまってる部品処理のための在庫処分ハードと思えたので選択から外しました。


モニターのサイズが小さくなるのがいやなので、パソコンの購入の仕方として賢くないとは思ったのですが、同じノートパソコンをヤフオクで落札することにしました。そして調べていたら分かったのですが、私のもっていたのはVAIOシリーズで最後のtype Aでフォトエディションという奴で、もう一つビデオエディションなるものがありました。液晶の画質が二つで異なるそうで、その違いが気になり確かめるべくむきになって競り合ってたら、一円スタートが14万2千円になりました。

2009年10月22日に発売したもうCPUも一世代前のパソコンが結構なお値段になりました。

VGN-AW53FBAというモデルなのですが、HDDは1TBでOSはAシリーズ最後のそして唯一Windows7搭載モデルなのだそうです。






そして落札してしまいました。



もう一つ同じビデオエディションの同じタイプAが2時間遅れぐらいで進行していたのですが、

私が落札したのが終わってこっちに人が流れたのか


最終的に11万7千円までいってました。ちなみにHDDの要領は800GBでOSは Vistaです。

なのでこっちだとWindows7に入れ替えても

リカバリー領域を、内蔵ハードディスクの中に持ってる機種なので重くなってきたからと出荷状態にもどそうとするとまた忌まわしいビスタに戻っちゃうというマイナス面があります。


当時フラッグシップとして贅沢に作られたコンセプトの違う二つのハイエンドモデルを私は所有しているのかと思うとちょっとした優越感に浸れます。



今ソニーは大変なそうなので残念ですが、

またタイプAシリーズ復活してほしいです。




最後に暴露しますが、今までUSBポートが左側に一個しかなくて不便だなーとずっと思っていたのですが、

今回購入にあたり色々と検索をかけていて発見したのですが、右側に二個USBポートありました。

3年間気がつきませんでした。あといろんな形状の差込口があるのですが私にはさっぱり分かりません。


豚に真珠 猫に小判もいいとこです。








2012年4月10日火曜日

ブログの更新が難しいです

Mさんコメント見てくださいね。







突然ですが、






パソコンの調子がすこぶる悪いのです。






私の使っているのはVAIO type A VGN-AW71JBなのですが、最近熱暴走で電源が落ちるようになりました。ノートの寿命は3年と言われていますので、新しいのを購入しようとも考えたのですが、バイオでこれが最後の18.4型フル液晶で、画面小さくなるの嫌だし、機能的にも64bitでOSも7にしてるので勝手に電源落ちる以外今の所私には支障はないのでアマゾンで冷却ファンを購入して様子を見ようと試みているのですが、




こうしてこれを書いている段階でも、5分おきとかに急に落ちたりして





何度もブラックアウトの画面を見せられてへこたれました。






自分そんなハイパーどエムではありませんので






今週はこれで終わりにしようと思います。



































でも最近ちょっとだけ気になっている事があるのですが、




チェコでもそうだったのですが、ポーランドに行ってさらに驚いたのが、親日家の方が本当に多くて

なんでこんなに日本という国は愛されているのか

不思議に思います。









限界なんでこれで本当に終わりにするのですが、





最後にどうしても気になるのがお隣の国なのでハンガリーも日本文化好きな人が多いのかなあと






推測するのですが、


まだ入ったことないので私には憶測しかできません。







2012年4月3日火曜日

ポーランド旅行 18 チャルトリスキ美術館


昼食を取るためブジェジンカ(ビルケナウ)からクラクフ旧市街に向かうためバスに乗りました。
道すがら、いたる所にお墓がたくさんありました。


アウシュヴィッツ見学の後なので関係性がないとは思うのですが気になりました。


予定では90分かかる所、道が空いていたのか予定より早く着きました。





というお店でした。





最初にだされたカップに入ったスープなのですが、ジューレックではなく、後藤さんの日程表に書かれていたバルシチ(赤かぶをつけて発酵させて作る赤紫色のスープ)ともどうやらちがってました。

名前はもう分からないのですが、味はしっかり覚えていて、味噌汁の中にタイ米が入った感じで比較的日本人好みかと思いました。


コトレット・スハボヴィ(豚のカツレツ)

どこでも出ます、ポーランドでもっともポピュラーな料理なのですね。




予定より早く進んでいるとの事で、ここで一時間ほど自由行動になりました。


Galeria Sztuki Starożytnej


それでチャルトリスキ美術館があったので、せっかくなので入ったのですが、入場料を払うさいに、なんか言われたのですが、当然私には分からなかったのですが、
首から下げていたカメラを「ダメッ」というジェスチャーをされたのは分かったので内部の写真を撮ることが出来ませんでした。

この時、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂(はくてん)を抱く貴婦人」はどこか他の国に貸し出し中とのことでしたし、
バスの時間もあって遅れたら怖いので2階に上がって甲冑とか武具とかある部屋をさーと見て早々に出てきちゃったんですけど、今思えば多分追加で写真代払えば撮影できたのかもしれませんね。


街角で花を売る女性がいました。

とっさに映画「街の灯」を思い出したのですが、外国ではよくある光景なのでしょうか?

日本には現在、こういった文化ないのでよく分かりませんが、

ヨーロッパの街並みの中にひっそりとお花を持ってたたずむ女性はとても絵になります。


Christo Transfigurato

チャルトリスキ美術館裏に大きな教会がありました。






教会から、チャルトリスキ美術館に入るまでを動画で撮って見ました。

途中モザイクを掛ける作業をしてたら音声が入れられなくなるので全然関係ない音を入れてみたらムービー最初に広告が入りました。

著作権を保護するのに消すのではなく、収益を得るという賢い方法だと思いました。






バスに戻ります。










首都ワルシャワへと向かうためバスに乗りました。








約90分位走ってトイレ休憩でガソリンスタンドに寄ります。







2時間ほど走るとまたトイレ休憩でガソリンスタンドによります。

こっちのガソリンスタンドはスーパーやファーストフードが隣接してる率高いと思いました。


マクドナルドには店内にびっくりする位ティーンエイジャーの若い男女が楽しそうにおしゃべりしていました。外は寒いからだとは思いますが、他に娯楽がないんだろうなぁーとも考えさせられました反面、
凄い健全な会話だけで繋がりあうっていう、現に凄いみんな楽しそうだったので何かが日本と違うぞと思わされた瞬間でした。

遊園地とか、あひるの所属する夢の国とか
あと水族館動物園ってポーランドのどちらにあるのでしょうか?



地球上で最も幸福度の高い国なのが日本放送協会放送センターで放送のマリーナの恋
地球イチバン」でのブータンの回を観ても思ったのですが、

経済的な豊かさと心の安らぎは違うのですよと

なんか身につまされた瞬間でした。



さらに60分ほどかけてワルシャワのホテルに向かいます。








ワルシャワのホテルに着く前に、後藤さんから注意事項を受けます。


2012年3月27日火曜日

ポーランド旅行 17 ビルケナウ強制収容所

アウシュヴィッツ収容所では収容しきれなくなったため、第二収容所として大規模に増設された

ビルケナウ強制収容所に向かうため駐車場から、いつものバスに乗りました。


「死への鉄路」がアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウへと続いています。

ビルケナウ強制収容所は、アウシュビッツ強制収容所の西約3kmのところ、
ブジェジンカ村(Brzezinka)にあります。




いきなりですが死の門に上ってます。

さすがに私も精神的に来ていて、写真を撮る枚数がビルケナウでは極端に減っています。








死の門の2階、中央衛兵所の窓から線路とバラック群を見下ろします。

広いです。

300棟以上のバラックはほとんど破壊され、今残されているのは、45棟のレンガ造りと22棟の木造だけです。

鉄道引き込み線・降車場(ランペ)

上はGoogle マップで見たビルケナウ収容所です。


総面積は1.75平方キロメートル 東京ドーム約37個分だそうです。

ピーク時の1944年には90,000人が収容され、そのほとんどはユダヤ人です。






収容所の内部から見た死の門です。

そしてここが貨物列車の終着駅、死へのターミナルだった場所です。


監視塔










アウシュヴィッツより少ないですが、ここにもパネルが展示されています。


軍医の「選別」を受けている所です。 

分け方は 


労働用、検体(人体実験用)、価値なしの三つです。



ほぼ7割以上の人々が、「価値なし」と 選別され、列車から直接ガス室に送り込まれました。



建物「29号棟」にアンネ・フランクも一時期収容されていました。




子供の収容棟(16号棟)

この被収容者の中にいた画家に描かせたものだそうです。


1棟あたり700人~1000人の収容者が入り、一つのセルに5人以上が寝かされたそうです。


ナチスの報告書より、労働者は3カ月程度で 
過労死させるのが最も効率が良いと考えられていました。 




トイレの時間が決まっていて、朝と夕方の2回だけ、しかも集団でです。

あとで、45歳のマダムに、私が
「決められた時間にしかトイレにいけないなんて考えられない。」
と話すと


さすが年上のお姉様、


一言おっしゃいました。



「食べ物をほとんど食べてないから・・。」



ハッっと気がつかされました。


たとえとして正しいかどうかあれですが、マリーアントワネットが
「パンがなければブリオッシュを食べればいいのに。」発言も、高貴な生まれの王妃には
「食べ物がない」という状況を想像できなかったからで、

私も今の自分の満たされたお腹状況からでしか、判断できなかったということで、
相手の状態にたって物事を考え、それに気づくというのは難しく、
でもそれこそがこの悲劇を繰り返さないことで一番大事なことなんだと気づかされました。






世界中から年間100万人以上の人がアウシュヴィッツを訪問しています。

ドイツの子供たちは必ず社会化見学で訪れると中谷さんは言いました。

2009年の年間入場者は130万人と過去最高を記録したそうですが、
そのうちアジアからの年間訪問者数は日本8200人,韓国3万5000人です。

この人数の違いは何なのでしょうか、理由は直行便があるとかだけではないはずです。


現在では死の門の列車入り口は金網で閉じられているので、再び列車が入り込むことはないです。

見学を終え、死の門建物内にあるお土産屋さんで、日本語DVDやパンフレットを購入しました。


どっと疲れてしまい

頭ふらつかせながらバスに戻りました。




私が今回この場所を訪れて疑問に思った一つですが、

映画「シンドラーのリスト」で、ユダヤ人を乗せてアウシュビッツに向かう貨物列車に向かって、ざまぁーみろと中指を立てるポーランド人の少年が出てきましたが、ポーランド人庶民の多くが反ユダヤ的な思考を持っている事をあらわす描写です。そんな自分たちが迫害した、ユダヤ人が大量に亡くなった場所、そして彼らにとってのお墓、巡礼の地がポーランドにとって一番の観光収入源になっていることは皮肉であり、またポーランドの方はどのようにとらえているのでしょうか?

広島にとって一番の目玉観光スポットが原爆ドームであり、
世界中から観光客が集まることにより、広島の経済を潤わしている現実であり
ジレンマとの近しい事なのかもしれません。



とにかく、もうこのような不の世界遺産を人類があらたに作り出さない為にも


その傷跡を後世に残し知らし続けていかなきゃいけない為の重要な場所だと考えます。


ここまでが今の私がアウシュヴィッツから学んだ感想です。


これでホロコーストについて


いったん終わりにします。





また来週からはティンカーベル脳に戻ったブログになることをお許しください。