2010年10月18日月曜日

名古屋旅行(9) 文化のみち

名古屋城から徳川園にかけての一帯を、歴史的遺産の宝庫として「文化のみち」と名付けられていて、大正時代には、この地区は企業家たちの屋敷町と変わって洋館が点在されているとの事で行きました。

文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)


日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と電力王と言われた福沢桃介が共に暮らした家です。








二階につづく螺旋状の階段、まるで誘われているかの如く魅力的なフォルムで艶かし過ぎて思わず階段に欲情を覚えてしまうほどウットリ.:*♪してしまいます。

サロンとして社交の場でもあった1階の大広間












文化のみちの様々な紹介を見ることができるパソコンのディスプレイもウッディ調で調和を乱さぬ拘りがニクイです。










入館用スロープや自動ドア、エレベーターが設置され、移築復元の再、バリアフリー化されています。





電力王と呼ばれた桃介さんは当時最先端の技術でこの屋敷を作りました。庭はサーチライトで照らし、停電時ための自家発電装置も備えた光の館に政財界の客人を招き、電気の凄さを見せつけ電力事業を推し進めたそうです。

大広間の観音扉のステンドグラス「初夏」

1階展示室 旧食堂のステンドグラス 「アルプス」

文化のみち橦木館(しゅもくかん)

大正末期から昭和初期にかけて建てられた、陶磁器商として活躍した井元為三郎の旧邸宅です。



一階の応接室が平成21年7月からリニューアルされてレストラン「カフェ・ラ・リーシュ」になりました。










橦木町(しゅもく)の名前の由来が正しくは撞木町(手偏)であるのに、戦後役所の人が間違えて橦木(木偏)を使ってしまったためだそうです。人なので間違いはあるのは仕方ないとは思いますが、現在でもそのまま修正されていないのは一度付けてしまった名前は役所側のミスでも簡単には変えられないと言う事でしょうか。





台所に ガス釜戸がありました。

舶来製の冷蔵庫「ゼネラル・エレクトリック」、風格があります。












旧豊田佐助邸
トヨタ自動車の源流、豊田自動織機設立者、源流豊田佐吉の実弟の 豊田佐助 の自宅。

白いタイル造りの洋館と棟続きの日本家屋からできています。洋間は洋館1階部分のみでした。




















しかし私が今まで見てきた明治、大正時代に作られた日本の洋館はすべて和洋折衷で、隣に別館で和館があったり外観では分からなくても室内に和室が必ずあったりするので日本固有の文化である畳という物を否が応にも考えさせられます。

2 件のコメント:

  1. 冷蔵庫!!!
    いいなぁ、見てみたいなぁ。

    29歳

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  2. この珍妙夢想ブログは2年余り、昭和初期以前に建てられた日本の洋館巡りがメインストリームと成り下がっていますが、アメリカンフィフティーズ、ミッドセンチュリーなモダンな家具や雑貨にも目が無いもので、オールディーズ漂う巨大な冷蔵庫を目の前にして食指を動かされカメラを向けてしまいました。

    37歳

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