名古屋旅行記の途中ですが、先にコチラをあげます。
28歳さんからのコメントで (29歳にあらせられたそうですが、まだ変わってからブログにコメントを頂けていないのでまだ28歳さんです。)
初めて迎賓館赤坂離宮の存在を知りました。すぐ隣りの上智大学とか四年間新聞を配りまくっていたのに、ちょっと販売地区から外れていただけなのに分らないとは、今となっては自分でも不思議です。
しかし、知ったからには観てみたくなったのですが、中に入るには毎年、
ゴールデンウィークあけ位から始まる一般参観の申し込みに応募して当たらなければ見学できないとの事なので、
虎視眈々と5月の公募を忘れずに狙って往復はがきを送ったところ、なんと一回目で当たりました。
昭和50年から平成17年までの大改装前までの
過去の申込と参観の数字を公表していますが、結構な倍率見たいなので幸運でした。
2009年に明治以降の建築としては初めて国宝に指定された旧東宮御所(現・迎賓館)8月2日喜び勇んでいってきました。
丸ノ内線、四ツ谷駅を降りてすぐ右側は自分の配達範囲で、毎朝毎夕配達で、集金で四年間走りに走り回った勝手知ったる、ひとっつも楽しい思い出のない暗黒の土地に背を向けて左側に歩き出すと、徒歩7分ほどで現実離れした建造物が目に飛び込んできます。
さすがに正面から入ることはできなくて見学者は西門にまわって入ります。
見学者はX線による手荷物チェック&金属探知ゲートでのチェックを受けます。身分証明書を提示して本人確認を済ませ、見学者用バッチとパンフレットを貰います。
敷地内に私が確認できた範囲で三か所、自動販売機があったのですが、事前にほかの方の参拝ブログを見て知ってはいましたが、かなり安いです。
デカビタ80円 、レッドブル エナジードリンク160円だったりします。
何でなんでしょう?
パンフレット、ポストカード等の販売所がありました。
このバッチを付けて中に入ります。
トイレのある建物で、
政府インターネットテレビ(飛ぶと音が出ます)の迎賓館赤坂離宮本館紹介ムービーが流されていました。
いよいよ、前庭に侵入します。
日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築、圧巻です。
前庭からは正面全体を写せないほど大きいです。(約全長116mメートル)
日本人建築家の養成を行うべく来日した、ジョサイア・コンドルの最初の弟子である 宮廷建築家片山東熊の設計による東宮御所(皇太子の住まい)として1909年(明治42年)に建設されました。
普段は閉じられた正門からしか眺めることができない迎賓館本館ですが、この日は中から正門を拝むことができます。
金色の星を散りばめた天球儀と霊鳥
青銅製の甲冑
宮殿建築として世界的に有名な、バロック様式の建造物の代表作である
フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとし、
さらにイギリスのバッキンガム宮殿などを参考としてネオ・バロック様式で建設された東宮御所(皇太子殿下のお住まい)は当時、
日本の建築・美術・工芸の各分野を代表した人々が総力を結集した、明治文化を象徴する建造物で現在では技術、規模、お金など、2度と作り上げる事は出来ない代物です。
目の当たりにして思わず打震え、震撼しました。
こんな巨大な玄関ポーチ、実際に見たの初めてです。
戦後、日本が国際社会に復帰していき、国賓等の賓客の機会が増えてきて、それまで迎賓館として使用していた、
旧朝香宮邸(現・
東京都庭園美術館)では手狭で随行員が同宿できないなどの支障が起こってきたので、これはまずいと言うことで、宮廷建築の粋を尽くした赤坂離宮が次の迎賓館に選ばれました。
貴重な室内、外観の原形を可能な限り保存し、建築と調和した庭園、室内様式に調和した家具、調度品、さらに和風の別館を新設しました。
本館の正面西の通用口から内部に入ります。館内は撮影禁止なので、
巡った四つの部屋はネットから拾った画像を載せます。
彩鸞の間 (さいらんのま・第2客室)
四つの部屋の中で最初に入るのが、かつて第2客室と呼ばれていた正面玄関の真上の部屋、彩鸞(さいらん)の間です。
各部屋ではボランティアの方の説明が聞けるのですが、室内にほどこされている装飾、アンピール洋式について口のはじに泡を吹きながら一生懸命説明されていました。本場の帝政様式(エンパイア・スタイル)ではナポレオンの統率とフランスの地位を理想化することを意図していたので、オベリスク、スフィンクス、ライオン、サーベルなどがモチーフですが当時、明治の変革時期で日清戦争、日露戦争と日本がどんどん軍国主義に持っていかれてた時代なので、天馬、甲冑、獅子、矢、刀などの日本独自の軍隊調のアンピールモチーフで華麗な金箔と石膏レリーフで構成されています。
花鳥の間(かちょうのま・饗宴の間)
シンメトリーを基調として作られた旧赤坂離宮ですが、建物中央から羽衣の間と対称の位置にあるのが花鳥の間です。面積も同じ約300メートルで、ともに当館で最大の広さです。花鳥の間はかつて饗宴(きょうえん)の間と呼ばれていました。現在でも公式晩餐会が催されています。「花鳥の間」という名は、格天井の油絵や壁に貼られた七宝焼(しっぽうやき)の画題が花と鳥となっていることに由来しています。
戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管されたのですが、なんと1948年(昭和23年)から1961年(昭和36年)の間、国立国会図書館として使用されてたそうです。一般の人が自由に出入りできる時期があったなんて驚きです。ただそのために宮殿内相当ボロボロになってしまったそうなので、後に迎賓館として使用するために5年の期間と108億円の費用をかけて改修されました。
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけても、大規模な改修工事が行われたので、
もうどこをとっても煌びやかで美しいのですが、
明治期の建造物が兼ね備えている「年季の風格」が薄れてしまったような、趣(おもむき)が綺麗過ぎて無くなっているように感じました。
当時のうすら汚れていた、洋館らしい「どよぉ~ん」とした宮殿内を凄く見てみたくなりました。
朝日の間(あさひのま・第1客室)
迎賓館の正面玄関から正面の階段を上がって、大ホールをさらに進むと朝日の間があります。
かつては、第1客室と呼ばれていました。内装はフランス18世紀末の古典主義様式で、広さは約180平方メートルあります。天井に描かれた、朝日を背にうけた暁の女神オーロラ(ギリシャ神話ではエオス)の絵画にちなんで「朝日の間」と呼ばれています。
羽衣の間(はごろものま・舞踏室)
本館の西側にある羽衣の間は、かつて舞踏室と呼ばれていました。広さ約300平方メートルの鏡と金色と緋色(ヒいろ)」の華麗な大部屋です。
羽衣の名はフランスの画家が描いた約200平方メートルの大きな天井がに由来しています。
この部屋に3基吊り下がっているシャンデリアは当館において最も大きく、かつ豪華なもので、建設当初、フランスから輸入、部品7000個、電球84個、重さ800キロです。
建物内の見学を終えて、
こんどは参観しないと見る事が出来ない建物の南面の庭園を散策します。
ホテル ニューオータニが見えます。
2階はイオニア式のオーダーが壮観に並んでいるテラスになっています。
国宝に指定されている噴水を背景に眺める国宝の本館南側、
贅沢冥利に尽きます。
茜出版なるところから出している、黒い写真集と白い解説本ともにタイトル「STATE GUEST HOUSE AKASAKA PALACE 国宝 迎賓館赤坂離宮」が一冊税込1000円で売っていたのですが、
一般の書店では扱わず、、ここでしか購入できないと言われたので両方買いました。一般では一年に二万人しか購入するチャンスが無いということになります。
郵便局も臨時出張所を西門内に出しています。
ハガキ買うとその日の日付の「風景印」を押してくれます。
迎賓館を後にして、この機会にいつかは行ってみたと思っていた
四谷駅から新宿通りを新宿方面へ8分ほどあるくと左手にあります。
店内で買った写真集の表紙を取りました。価値が出ると言いです。
桃とプラムのパフェを食べました。プラムは癖になる酸っぱさで、この夏最低もう一度食べておきたいです。