2010年8月23日月曜日

名古屋旅行(3) 明治村´ ´

1丁目9番地 森鴎外・夏目漱石住宅(もりおうがい・なつめそうせきじゅうたく) 明治20年(1887)頃

明治中期、東京の街中に作られた典型的な中流住宅で、明治23年森鴎外が一年余り住んで、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいました。

夏目漱石は、 ここで「吾輩は猫である」を執筆し、文壇にその名を高めました。



1丁目8番地《重要文化財》 旧西郷従道住宅(きゅうさいごうつぐみちじゅうたく) 明治10年(1877)代


西郷隆盛の弟西郷從道が東京上目黒の自邸内に建てたもので、従道さんは陸海軍の大臣を歴任したりした、維新政府の中枢に居た人物だそうで、在日外交官との接触も多かったので接客の場として建てられた洋館です。 何軒かの主要な建物にはボランティアのガイドさんが常駐されていてマンツーマンで説明を受けることができました。

明治村には旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)で使用された家具も所蔵していて、この椅子などがそうです。今年2010年に開村45年を迎えた記念に「赤坂離宮を彩った華麗なる宮廷家具」展を去年の11月28日から今年の6月30日まで1丁目13番地の三重県庁舎で開催していました。


日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ)の制作したピアノがありました。


日本三景を描いた暖炉飾りは 瀬戸焼です。愛知県瀬戸市で生産されるから瀬戸焼きって言うんですね、陶磁器を指す一般名詞として瀬戸物と言うことを今まではっきりと理解していませんでた。なんか江戸時代以前の日本の文化にさっぱり興味が持てません。ティーカップなどの洋食器は好きですが、清水焼とかの湯呑みとか見ても心の琴線に触れる事がありません。西洋のキャッスルには住みたいですが、和のお城には、全く食指が湧かないので、今回の名古屋旅行でも名古屋城には行きませんでした。


ベランダの床は雨水対策で、少し外に向かって坂になっています。

ベランダからの眺めが素晴らしいです。




1丁目7番地 学習院長官舎(がくしゅういんちょうかんしゃ) 明治42年(1909)


ここも洋館と和館とをつなぎ合わせた形式の作りで、学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いました。

 
  
 
1丁目6番地《重要文化財》  聖ヨハネ教会堂(旧日本聖公会京都五條教会) 明治40年(1907)

明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が作られるようになりました。
設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーで京都の河原町通りに建てられました。耐震性を高めるため、1階は煉瓦造、 2階は木造になっています。尖頭アーチが素敵なゴジック調のデザインがたまらないです。

1階を日曜学校や幼稚園に、2階が教会になっています。

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