ポーランド旅行記が終わった今
ポーランド旅行から帰ってきた時以上の脱力感に襲われています。
その感覚はというと
「あ、ああ これで本当に終わったんだな」
という虚無感でしょうか、
不思議なものです。
ポーランドに行く前からすでに終わっていた事で
さらに帰ってきた直後決定的な引導渡されましたので、
もう、半年以上前に完全無欠に終わった出来事なのに
今になってその終焉を実感しています。
それをどう例えるか難しいのですが、
自分の親がなくなった子供が
それを理解したくないとゆう気持ちで思考を止めるのか
葬式の最中まできゃっかきゃっかとはしゃぎまわるっているのに
終わってしばらくしてから
急にわんわん泣きじゃくるかのような、
そんな感覚が現在私の言い得て妙だったりします。
なので今はどっか行ったりする元気ないので
せっかく撮った画像も勿体無いですし
当時ここは
お土産屋さんでしたが、
今はたぶん違うと思います。
理由はこの時
そこはかとなく、
店内にお仕舞いの香りを
私感じ取ったからです。
船の科学館の休館は、
運営元である日本海事科学振興財団を支える競艇事業による収入が、
東日本大震災などの影響もあり激減していること、
同館の老朽化など様々な要因が重なったからだそうです。
冷蔵ショーケースの陳列の少なさに哀愁を感じます。
そのネーミングうまくないからねっ、すべってるからね!
いらぬお節介ですが、ここで働いていた定員さん、
今何しているのでしょう。
今、船の科学館は本館展示公開を休止していますが、
むかし、日本で最初に南極に行ったという船
「宗谷(そうや)」は現在でも無料展示しているそうです。
去年の木村拓哉のドラマで実際にこの船が撮影場所に使われたそうです。
私はあのドラマ見てないですし、
ぶっちゃけそんなにこの船に私は興味ないので
(そういえばあのドラマも同じTBSでしたね。)
この時、ただ
せっかくなんで写真撮っとこう
という考えしか私ありませんでした。
キムタク「犬、どうすんスか!」
そんな台詞ありましたか?
晴れてるなー
晴れてる晴れてる
今はもうここには停泊していない
青函連絡船「羊蹄丸(ようていまる)」
来週こっち取り上げますので。
なんでも海上に浮かんでいる状態で維持するためには、億単位の莫大な経費がかかるそうで、
「羊蹄丸」は解体される事が決定しました。
なのにどうして「宗谷」は永久保存されるのでしょうか、
ちょっと検索かけてみました。
1938年(昭和13年)当時のソ連向けの耐氷型貨物船として建造され
1940年に日本海軍に所属し、測量を行う特務艦になり
十ニセンチ単装高角砲二門と二十五ミリ連装機銃二基を装備しました。
その時「宗谷」と名づけられます。
太平洋戦争の後、南極観測用に改造され、6回南極に行きました。
現存する数少ない旧帝国海軍艦艇であり、
現在でも船籍を有しているので
船舶法の適用対象で
必要であれば舫を解いて航行できます。
1943年(昭和18年)1月28日午前7時、
アメリカ潜水艦から発射された魚雷4本のうち1本が右舷後方に命中するも
幸運にも不発弾であったため難を逃れました。
トラック島空襲では2月17日、回避行動中に座礁し
翌18日には空襲で米軍機1機を撃墜するも9名が戦死しました。
総員退艦命令が出て、19日、満ち潮と共に宗谷は離礁し、
仰天した乗組員は再び艦に乗り込んで
宗谷は奇跡的に脱出に成功するが、
当時の艦長 天谷嘉重大佐は責任を感じ、
1944年(昭和19年)12月16日に拳銃自殺しました。
1945年(昭和20年)6月26日
船越湾大釜崎沖を航行中、
米潜水艦「パーチェ」からの雷撃で神津丸と永観丸が被雷沈没、
宗谷は爆雷で反撃し、パーチェに損害を与えて撃退しました。
1945年8月2日、横須賀でドック入りしている時、戦艦長門、病院船氷川丸と共に空襲を受けます。
敵機が投下したガソリンタンク(増槽)が宗谷の機関室に飛び込んできたが、
ボイラーに火を入れていなかったため爆発しませんでした。
さすが、奇跡の船と異名をとるだけの事はありますね。
これだけの戦火の中をくぐり抜けて来たなんて
なんて強運なんでしょう、
てっ
この船、おもいっきり軍艦じゃないですか、
(||゚Д゚)ヒィィィ!(゚Д゚||)
このブログで顔文字使うの二回目なんですけど
それぐらい驚きました。
知らなかったー
だってここ見学したとき、
そんなこと書いてあるインフォメーションなかったんですから、
私が見逃してただけでしょうか、
38年間知らなかった衝撃の事実です。
小学生の時、
「タロー! ジロー!」と流行りましたので
そのイメージ、
南極物語しかこの船で連想できていませんでした。
♫ぼくの足元で光は跳ね回る♩♬
それは「子猫物語」でしたね。
フィンファンネル?
ここから来たんですね、富野さん。
羊蹄丸がスクラップになるのに、なぜ「宗谷」だけが生き残るのかの、
オトナの理由が分かりました。
「宗谷」は大日本帝国海軍所属の艦艇として今でも
海に浮いて航行できる唯一の存在
だからなのですね。