あと二回でこの旅行記は終わりになるのですが、
ここ最近のブログの脱線があまりにも自分でも酷いと思うので、
ここからラストまでは変な拾い食いはしないで
完結させようと考えます。
振りとかじゃなく
本当に。
ついに帰国日となったのですが、とにかく一日慌しかったです。
5時45分にモーニングコールがあり、
朝食は6時半からで
6時55分には直ぐ空港に向かうため
ホテルを出るので
食べ終わった後に荷物を取りに部屋に戻る時間ないから、
ロビーに待機する、初日の空港からホテルのチェックインをサポートしてくれた、
ポーランド人の旦那さんとご結婚された中国系日本人のチョーさんと後藤さんの二人に
スーツケースを見張っててもらう程でした。
また、ビールの空き缶で部屋を散らかしたので
ポーランドの枕銭の相場3~4zlだそうですが、
ちょっと多めにおいておきました。
ホテル前に止まっているバスに乗り込む時、小雨が降っていました。
この旅行中ではじめての雨です。
私は雨具を用意してこなかったので、観光中に雨に降られていたらどうしてたのでしょう?
私は旅行運だけは人一倍あると自負します。
予定には無かったシンドラーの工場見れて
アウシュヴィッツでは、まさかのガイドに中谷さん、
実際に入れる観れるとは思ってなかった
コペルニクス科学館とプラネタリウム
もうかけがいのない大満足のマジカルミステリーツアーでした。
チェコ旅行の時もそうでした。
宿を民宿桐渕にしたことで
一般の観光客ではまず入れない黄金の虎で世界一美味しいPIVO(ピヴォ)を飲めたり
お子さんにネットで上映時間を調べメモを書いてもらい
それを見せる事でチケット買い、観る事のできたプラネタリウム。
世界一美しい町、チェスキークロムロフ行けたりと
終始、夢の中のロンド、
幸せ旅ロマンだったのは
日本での私の実生活の酷さ
私生活38年モテナイ人生に
さすがに神様も
そういうとこだけ反比例で
とっても!ラッキーマン的に
流石によくしてくれてると思うことに決めました。
ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港 - Lotnisko Chopina w Warszawie
30分ほどでショパン空港到着です。
ここで、この旅行中ずっとバスを運転してくれたロベルトさんとお別れしました。
ロベルトさんは私の三歳年下なので、
1989年のマルタ会談の時13歳、
1991年のソ連崩壊時15歳と経験しているので、
それ以前からのその後のポーランドの激動の変化を実体験で知っています。
ロベルトさん曰く、
昔は無かった
色々な品物が変えるようになったのが
一番喜ばしいそうです。
最後にツアーの皆さん全員で
「ジンクイエー」
ポーランド語で「ありがとう」
とお礼を言いました。
市内からバスで30分くらいのところにある空港なんて便利ですよね
とても綺麗な空港です。
最後にここで、チュッパチャップスを買って
余ったズオッティをほぼ使い切りました。
チェックインカウンターが開くのを待つ間
チョウさんに、昨夜プラネタリウム観れたことを話すと、
この間、以下にメガスターが凄いプラネタリウムであるかの特番が、
テレビでやってたそうで
混んでたでしょう、と言われたので、
並ばずに入れたと答えると
信じられないという顔をされました。
見世物小屋がありました。
こんなせまっくるしい空間で
むさい中年男性の吐く煙に包まれるなんて冗談じゃなく
こういう光景を見るたび
私はほんと煙草止めれて
よかったと思う瞬間です。
スイスインターナショナルエアラインズのオリジナルチョコがとても美味しかったです。
ただ、とても溶けやすいので、
日本に持ち帰るのは難しいと思います。
キンダーチョコなど、
ヨーロッパの気候でしか存在しえないチョコレートの
お口でとろけるあの旨さ、なんなんでしょう。
クラクフのホテル近くのスーパーで買ったチョコ、プリンスポロも
えも言われぬ狂おしいおいしさで
舌にすっかりメモリーされてしまったので
時たま思い出しては無性に食べたい衝動に駆られ
もんどりうってます。
スイスの大地です。
憧れるスイスの田舎村、いつか歩いてみたい。
✎口笛はなぜ~遠くまで聞こえるの♪.
あの雲は何故~♪私を待ってるの?
チューリヒ空港着きました。
11時50分にチューリッヒに着き、
13時チューリッヒ発、成田行きの飛行機に乗らなきゃ行けないので
みな早足で進みます。
こんなせわしない乗り継ぎ、一人っきりの旅行だったら
絶対自分パニックになって
シャルルドゴールの二の舞で迷子になり
飛行機に間に合わず、
乗り遅れていた事でしょう。
スイスでのお買い物はみなさん
最初の乗り継ぎで済まされています。
入出国審査を受けるのに螺旋(らせん)の列を歩いていると
後藤さんが、さっと身をかかげて柵の下を乗り越える
ワープ航法でどんどん先に進んで行きました。
添乗員さんは真っ先に検査を終わらせて、向こう側でツアー客を待ち受け集める
仕事があるので、身に着けた術(すべ)なのですが、
最初見た時は驚きました。
パスポートコントロールを抜けて
スカイメトロに乗り
さらに後藤さんの後を付いて行きます。
行きでも見たスオッチの広告
セキュリティチェックに向かいます。
ここで、ちょっとショックな出来事がありました。
私が順にならんでいると、白人の40代後半ぐらいの夫婦が列に割り込んできて
私にパスポートとチケットを見せて
なにか言ってきました。
突然で、また何を喋っているのか私は分からないくて
「えっ」って顔をすると
明らかに人を見下す目に変わり、
私を無視して、話を後ろの人に変え
そのまま白人夫婦は先に進んで行きました。
この白人夫婦の行為は、自分の乗り込む飛行機の時間がせまっている旅行者がする
よくある事なんだとは納得できるのですが、
あの態度はないんじゃないでしょうか?
悲しくなりました。
こちらが英語を話せないのを分かった
瞬間に見せた愚弄(ぐろう)した瞳、
それはまさに
「戦闘力たったの5か…ゴミめ」
と地球人をあざ笑うラディッツのスカウター越しの
あの目でした。
私も銃を持ってたら同じようメリケン大将に乱射していたでしょう。
まさかスイスの空港であの農夫のおじさんと気持ちシンクロするとは思いませんでした。
うぐぅ~
あの時の戦争でもし日本が勝っていれば
こんな辱め受けなかったのにと、
リメンバーパールハーバー再びと殺意がめばえました。
ごめんなさい、
もうやめますね
もう本当に
落っこってたの拾いません。
真面目にですが、
この時受けた劣等感は半年以上たった今でも覚えています。
アメリカのテレビショーで司会者が最初はフレンドリーに話しかけるのに
ゲストが英語を喋れないのを分かると
途端に態度が変わり
英語を喋れない人を相手にしなくなると聞いたことがあるのですが、
この受けた屈辱拭うためにも
許されるのなら、今からでも
カナダにでも語学留学してみたい。
ゲート到着です。
そして直ぐ搭乗開始がはじまりましたので、
休息の時間などほぼないので
煙草を吸う人は
ワルシャワから日本までの期間もの間吸えないことになります。
もと私もニコチン中毒者だったので
そんなの考えられない苦痛、拷問だったなと分かるので
止めてそろそろ6年経つ私は
ほっと無い胸をなでおろします。
ゲートを越えて
LX 0160便、ナリタ・インターナショナル・エアポート行きの飛行機乗り込みます。
さぁー
そして
次の更新で
ついにというか
ようやくですかね・・・
このポーランド旅行記終わりになります。
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