2010年2月9日火曜日

岡本太郎記念館

行きました。
二十歳ぐらいの時に美術に興味を持つまで私は岡本太郎さんの凄さが分かっておらず、幼少のころの笑っていいともなどのテレビにでて、珍妙な動きをするちょっとおかしい 爆発おじさん※YouTubeとしてしか認識していませんでした。




坐ることを拒む椅子に座れます。

アトリエも当時のまま残されています。
上には書斎があります。
このアトリエで創作されている太郎さんの動画がありました。
遊ぶ子 油彩/未完

虫と子供 油彩/1973年


岡本さんの養女で岡本太郎記念館の館長だった故岡本敏子さんのお写真がやさしく微笑む太郎さんの隣に飾られています。


私は野球に全く興味ないのでさっぱり分からないのですが、この赤いのがどこぞの球団のマークだったそうです。
ボツになったこっちの黒い方が太郎さん自身は良かったそうです。


 
大屋根のまっすぐな鋼管で構成された幾何学的な風景を、岡本さんは「世界一の大水平線構想」と呼んだそうです。

お祭り広場で何かあった時、大屋根に来場者を避難させるための非常階段が太陽の塔の左手〔手なのか?〕に作られていたとは知りませんでした。










これは太郎さんの作品ではなく、大阪万博の展示ですが、40年前にすでに 脳内メーカー的なものがあったのですね。
これもEXPO'70の展示 「 世界一大きな絵本」


adidas ART企画【adicolor】シリーズで「岡本太郎」verがありますが、非売品です。

太郎の鐘(1965) いやらしいですが8,000万円だそうです。

こどもの城のシンボルモニュメント 「こどもの樹」(FRP、1985年)

「明日の神話」(ウィキペディアより)
「自らの作品をガラス越しで展示されるのを非常に嫌い、そのままの状態で鑑賞してもらうことを善しとする考えであった。それを表す逸話として、ある時自らの絵画作品「コントルポアン」を傷つけられたことがあり、それ以降関係者がガラス越しでの展示を提案すると太郎は激怒し、「傷がつけば、俺が自ら直してやる」とまで言ってのけたという。渋谷駅の駅ビル的扱いの渋谷マークシティという渋谷駅からの電車の微振動や乗降者数の多さ、そして気温・湿度の激しい変化に晒されるなどとても設置場所としては不向きなところに展示される「明日の神話」も、以上の理由で何の防護措置も施されずに展示されることになった。」


2 件のコメント:

  1. いいブログですね。

    返信削除
  2. ISAOさんコメントありがとうございます。

    こんな戯言ブログ、ほめられることは稀にもない出来事なので本当にうれしいです。

    ありがとうございます。

    返信削除