2010年7月29日木曜日

名古屋旅行(1) 明治村

軽井沢旅行から帰ってきた時ぐらいに、たまたまネットで、
名古屋に博物館明治村なる場所が存在することを知りました。
関東で言う水元公園見たいに、愛知県の人は遠足で必ず行く位、ポピュラーな場所らしいのですが、私は存じ上げておりませんでした。
気になり調べたのですが、知れば知るほど、とんでもない場所であることが分ってきました。
100万平方メートルの広大な土地に67件にも及ぶ明治時代の、
私の一番好きな時代の日本の洋風建物を移築・復元した野外博物館が
愛知県の犬山市にあるのです。
近代建築が好きな人間にとって、
夢の桃源郷(とうげんきょう)、フォトジェニックの園(その)
そんなシャングリ・ラ “明治村” 
理想郷に旅立つべく、7月の27日28日と一泊二日で名古屋に行ってきたので、
宜しければまた、凌辱(りょうじょく)珍道中(ちんどうちゅう)を羞恥的史観でご覧ください。



東京駅から、品川、新横浜まではあっという間なのですが、そこから名古屋までが結構長くて、しかもこの電車博多まで行くみたいなのに、車内の案内番を見ても売店などがありません。たまに車内販売が通りますが、中年のおじさんで、なんかイメージが違います。
一車両だけ自動販売機があるみたいなので見に行きました。

あったのこれだけです。
お茶と水だけって・・・
しょんぼり自販機です。

着きました。名古屋都会すぎます。前回の軽井沢で、すっかりレンタカーの虜になったので、乗る気満々っだったのですが、こんな都心走ったことないのでちょっと躊躇しましたが、予定通り借りて乗りました。走っている最中、 明治屋を発見しました。京橋にあるのと凄い似ていましたが、あの交通量の場所で止めて写真撮るとか私には無理でした。
名古屋と言えば、手羽先で「世界の山ちゃん」が有名だということは、伊集院さん経由で知っているので、滞在中に行けたら行きたいです。

都心から離れ、交通量も減ったので、撮ってみました。

今回、三件のレンタカー屋さんに行って、軽自動車を探したのですが、無かったので、マツダレンタカーで、日産のマーチを借りました。
車中、ずーと頭の中は、
「マッチのマーチはあなたのハートにマッチする」
のフレーズが繰り返しエンドレスで鳴り止まなかったです。
私はマッチ派でした。

1丁目1番地 第八高等学校正門(だいはちこうとうがっこうせいもん) 明治42年(1909)
この明治村の正門は、もと名古屋の旧制第八高等学校(現在の名古屋大学の前身)の正門で、四本の門柱は、赤いレンガに白い花崗岩を帯状に配して作られており、この構成は明治洋風建築によく用いられたものです。
かつて旧制八高が立地していた昭和区の滝子(たきこ)には、この正門の門柱をイメージしたモニュメントが建っているそうです。

食道楽のコロツケーの店
明治時代にベストセラーになった小説「食道楽(しょくどうらく)」で紹介している材料・調理法を再現したコロツケー(コロッケ)です

前までは四種類のコロツケーがあったみたいですが、現在では「ひき肉」「ひき肉と馬鈴薯」の2種類だけになってました。ちょっと普通とは違っていて、ハヤシライスのルーが入ったみたいなコロッケです。明治村に行ったら、絶対に食べてみようと思っていたのですが、期待を裏切らない美味しさでした。

1丁目2番地 大井牛肉店(おおいぎゅうにくてん) 明治20年(1887)頃

横浜、長崎につぎ、慶応3年神戸が開港しました。外国船が寄港し、外国人居留地には外国人の住宅が次々と建てられました。これに伴い、外国人を相手の商売が興り、船や在住外国人に牛肉を納める者達も出てきました。その一人、岸田伊之助が明治20年頃牛肉販売と牛鍋の店として建てたのが、大井牛肉店です。


1丁目3番地 三重県尋常師範学校・蔵持小学校(みえけんじんじょうしはんがっこう・くらもちしょうがっこう) 明治21年(1888)
この建物は小学校教師の養成を目的とする三重県尋常師範学校の本館として明治21年(1888)に津市に建てられ、その後、昭和3年(1928)に名張市に移築されて蔵持小学校として使われました。明治村には特色ある中央玄関部分と右翼の二教室分のみ移築保存されました。
擬洋風建築(明治初期洋風建築)の特色がよりわかりやすい建築だと思います。
机がつながっていて、小学校低学年としても、ここまで小さくなくてよいだろうというくらい椅子が小さかったです。

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