前回は松代、農舞台エリアを森の中の図書館「フィヒテ」めざして
歩いたのですが、
たどり着く前に
あまりの暑さに心耐えられなくて、
轟天号(トヨタ・ヴィッツ)に戻ってしまいました。
もう、ちょっと野外での作品ではないものと考えて、
ハンドル走らせた先は、
十日町市立里山科学館
越後松之山「森の学校」キョロロです。
煙突みたいなのはこの建物のシンボルであるキョロロタワーです。
森の動物や昆虫に関する展示が見られる自然科学館です。
館内はたいへん過ごしやすい気候塩梅ではあるのですが
いかんせん私は虫とか昆虫どちらかというと苦手なので
内心、「虫かぁー」と拒絶する感情がちょっとありながらでの
館内散策だったことは正直に報告します。
ミュージアムショップもすべて虫関連です。
虫のアクセサリー充実です。
ザリガニ釣りコーナー
クワカブルーム
クワガタ触り放題の部屋です。
カブトムシくさかったです。
冬、
雪ふるとこんなになっちゃうんだよパネルがありました。
スゴイですよね。
昆虫採集道具発明家の志賀夘助の3800点におよぶ蝶のコレクションが展示されています。
収集したチョウコレクションの中には、今ではワシントン条約で国際取引が禁止されている種も多数含まれているそうです。
その向かいに展示されていたちょうちょ達が秀逸でした。
蝶の羽に絵を描いているのです。
修正難しいだろうし、プリントなんだろうなとは思うのですが、
新しい!っていう刺激ックス感じて、
どきんちょ!ネムリン彷彿させます。
作品番号 Y-021 キョロロのTin-Kin-Pin —音の泉
制作年
2003
庄野泰子
塔の下部にある貯水井戸の湧き水を水滴として発音体の上に落とし、 音を奏でる仕組みになっています。
作品番号 Y 022 大地、水、宇宙
制作年
2003
逢坂卓郎
キョロロの塔へ上るための階段も作品です。
塔の上部壁面には宇宙線を感知して光る青色の発光ダイオードが11,400個埋め込まれていて、
下部の水中には赤い発光ダイオードが7,656個設置されています。
肉眼では見れない宇宙線を視覚的にあらわすことで宇宙を感じさせるインスタレーションなのだそうですが、
とにかく、急で暗くて先が見えなくて
手すりにつかまりながらよろよろと全然終わりの見えない螺旋階段をのぼっていると
私の持ち前のバッド・デイドリーム力がはたらいて、
これは・・
ひょっとして・・・
いくら上っても頂上にたどり着けない
無限階段に入り込んでしまったのではないか?
突然迷い込んだ
インフィニティー・ループ・ヘル
トワイライトゾーンの世界に
「白うさぎどこ?どこっ!」
と勝手に恐怖におののいていると
当たり前ですが、展望台に着きました。
駐車場含めて作品です。
美人林が見渡せます。
つぎに向かったのは部屋中のすべてが墨などで黒く染められている
「黎の家」です。
今年は「CURRY,NO CURRY」というカレー屋さんになりました。
ここで出される、カレー自体も作品です。
時すでに遅く、カレー売り切れでした。
でも、実はその方が良かったと安心している自分がいまして、
「ゆーあびる大百科」をすでにお読みの方はご存知だと思いますが、
『旅行などちょっとした環境の変化でストレスを感じるといっさい食欲がなくなる心のうっすい矮小ブロガー』
P121参照
ですので
頼んだところで食べきれるわけないからです。
カレー販売中はかなり混雑するそうなので
人が少なく
気兼ねなく写真とれるので私的には
むしろこっちの方が聚楽でありがたいです。
地域住民から譲り受けたやかんや鍋の塊が天井から宙吊りなってました。
ボランティアのおじさんが、
「寝っころがって下から写すのがいいよ。」
と言われたので従いました。
他の方々もみなさんやってました。
2階に上がるとハンモックがありました。
このモノトーンな世界での
夜を想像したくはないですね。
一階にはバスルームも完備しているのですが。
まっくろくろすけ出てきても分かんないぐらいすべてが真っ黒で統一してる家でした。
キョロロで展示されていた蛇のケース内にカエルが2匹・・
返信削除『これって・・そういうことだよね・・』と切なくなりました。
その後に見たカエルの展示ケースの中にはイナゴが・・
『・・・閉館後じゃダメなのか・・?』と
心が凹んだことを思い出しました・・。
それにしても、蝶の羽に描かれた絵は綺麗でした。
じっくりと全部の蝶を見たかったなぁ。
早足で見たのを後悔。
『黎の家』のコンセプトは『交流』らしいので
カレーが売り切れた後は、何か飲み物を提供したら良かったのに、と思いました。
あの黒く塗られた空間は落ち着けると思うんです。
暑い中、訪れた人が飲み物で一息ついて、そこでまた交流が生まれて・・
そうやって繋がっていったら良いですよね。
わたしもそういう食物連鎖の現場を目撃したら今でも真っ先に目を伏せてしまいます。
返信削除しかし、そこをカエルや蛇の餌をドックフードみたいな元を連想させないものにして誤魔化さずに、子供たちにも見せることが生物の科学館として大事なことなんだと思います。
「いのちの食べかた」という本を読んでから私も考えるようになったのですが、
スーパーで発泡スチロールにのって並べられているお肉を見ても、その“あいだの過程”を想像しないで思考を止めていることにきずかされました。
自分は多くの生きとしいけるものの犠牲でなりたっている、目をそらさずにそこをちゃんと知ることで無駄な殺生が少なくなると思います。
「いただきます。」の言葉の意味を深く考えさせられた一冊でした。
黎の家の作家、リクリット・ティーラヴァニットさんは
そこに生まれるコミュニケーションをも作品の構想にしているそうなので、たむさんの考える交流の場所として飲み物提供案とてもよいと思います。
でも私は、見ず知らずの人に気さくに話しかけられる勇気100%(光GENJI)が無いので初対面の方々前にうつむいて茶をすするのが目に見えてます。
確かにそうですよね。
返信削除蛇もカエルも命を食べて、命を繋いでいるんですよね。
私達、人間も沢山の命を食べて命を繋いでいるんですよね。
残酷・・と思うのは、こちらの勝手な考えで、
自然界ではいたる所で真剣な命のやり取りが行われている。
それをちきんと伝えなければならないですね。
よくよく考えてみると、動物園や水族館での餌付けショーは
キャッキャ言って見てるな、私・・って、今、ものすごく反省・・
生きた餌だと残酷で、切り身ならOKって都合よすぎですね。
『いただきます』は欠かしませんが、
時々、
習慣で、なんとなく、心のこもっていない、
『いただきます』になっているときがあります。
この返信を読んで改めて、
『命を頂く』ということを大切に思いたいと感じました。
私も人見知りなので、きっとカフェになっても
交流は出来ないと思います。
確実に目が泳ぎます・・