2017年9月15日金曜日

WAとNY旅行記④ スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター1⃣エノラ・ゲイ


てへぺろ~



えへっ!(白目).









前回の更新が今年の3月21日でしたので






半年ぶりっ子 ?






















ぶるぶるぶりっ子!








あなたが大好き ルンルンルン
えへへ…


どうだい見たかぁ

久しぶりにすべってやったぜ!

 




「見るなー!」


本日



9月15日

「老人の日」

てまえ誕辰

己の生誕タイトルにしているブログ

34歳で初めて

今年で

あれから三日

っちゅーことで


更新。


念願かなってのスミソニアン別館に到着。




Boeing FB-5 Hawk






ついに

大変だった。




どうして原爆が落とされた場所が広島だったのでしょう?

米軍「第509混成群団―作戦計画要約」という資料によると

広島は日本本土内でBー29の焼夷攻撃にやられずに残っているものでは、

(京都を除いて)最大の都市

原子爆弾が与える被害を正確に評価するために必要であった。

加えて、広島市の背後に山があり、 

市街地への原爆の効果がより明確になること、 

最後に、

8月6日が快晴であったことが 

広島の運命を決めました。

攻撃のために選んだ目標

  第1目標  広島市街地工業地帯
         
  第2目標 小倉造兵廠および市街地
         
  第3目標 長崎市街地

新潟

他の3都市のうち、長崎は配置が最も貧弱であり、

しかも近くに捕虜収容所があった。
(息子たちが、捕虜収容所にいて帰ってこなかった母親たちにとって、刺激的[Sensitive]である)

それでこれは第3目標になった。他の2つ、広島と小倉は、配置がよく、

比較的重要であった。しかし、小倉には捕虜収容所があり、

一方広島にはわれわれの知る限りそれがなかった。

それで広島が第1目標となったのである。



Boeing B-29 Superfortress Enola Gay
このB-29というタイプの飛行機が、太平洋戦争でいかに活躍した優秀な航空機であったかが記されている。
そして、1945年の8月6日、この飛行機が最初の核兵器を日本の広島に投下したこと、その三日後に、同じ機種のBockscarと名付けられた戦闘機が、日本の長崎に二つ目の核兵器を投下したこと、そしてそのBockscarは、オハイオ州デイトン近くの航空宇宙博物館に展示されていること、などが記されていた。
原子爆弾によって広島の一般市民が何人死んだかは、記されていなかった。

あの日、この飛行機が落としていったおぞましいものの引き起こした惨事を体験している人にとっては、どうしたって、これは忌々しい物体に違いない。けれどわたしは、この飛行機を見ても、憎悪の念が浮かび上がりさえしなかった。
飛行機には、罪がない。
当たり前のことだけれど、飛行機には何の罪もないのだ。それは「罪の象徴」かも知れないけれど、でもやはり、罪そのものではない。そのことが、実際に、こうして自分の目で見て初めてわかった。罪は人間が創り上げるものであって、人間の中にある。




投下した「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人のうち、最後の生存者だった

当時24歳

セオドア・バンカーク氏は93歳で死去。



生前のインタビューで

■気の毒「sorry」と 謝罪「apology」の違い
セオドア・バンカーク氏(2013年8月、米ジョージア州アトランタ郊外の自宅で)
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セオドア・バンカーク氏(2013年8月、米ジョージア州アトランタ郊外の自宅で)





 広島で被爆した個々人に対しては、最初の取材時から「気の毒(sorry)なことをした」と語っていた。ただし、「日本の国に起きたこと全体としては、気の毒とは思わない」とも付け加えた。
 批判の矛先を当時の日本の指導者に向け、「日本は少なくとも6カ月前には降伏しているべきだった。空軍力も海軍力も失い、勝つ見込みが全くなかったことは、軍も分かっていたはずだ。日本の指導者がなぜかたくなに降伏を拒んで戦争を続け、国民をこんなひどい目に遭わせたのか理解できない」と憤慨していた。
■戦争責任と裁判
 同氏は「もし米国が負けていたら、自分は戦犯として裁かれていただろう」と話していた。日本の指導者が裁かれた東京裁判について聞くと、「公正かって? 米国にとってはそうだろう。戦争に勝ったから。だが、もし米国が負けて自分が裁かれていたら、ここで君に『絶対公正じゃない』と訴えていただろう」と語った。「当時はドイツも日本もどの国も、自分の国と国民のために最善だと考えたことを行っていた。私たちが原爆を落としたのも、それが米国と国民にとってベストと考えたからだ」と話し、戦争裁判は相対的なものだという考えを示した。

航空宇宙史は、軍事史でもあることを

子供のころからアメリカ人はまなんでいるそうです。


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