2015年4月23日木曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊿ シュテファーニク天文台

ギブスはずれるのが

5月の七日だそうですよ。

だったらその日

右足の靴もってきたほうがよいですか?

聞いたら



「添え木に変わるからお風呂で足洗えますよ。」

て言われました。


早く松葉杖なしで


歩けるようになりたいです。



ベストシーズンのヨーロッパなので

日差しが大変強かったです。

ヨーロッパ歩いてて

心底思い知らされたのはあきれるぐらい

太陽の光に当たるのが老若男女とわず

みなさんこぞって

「DAISUKI!」日テレなんだなーでした。




日の光にあたることが心からの喜びなんだなってのが

嫌ってほどうかがえるかいま見た日常だったのですが、


白人の人は肌が強いそうで、

いくら日焼けしても皮が向けなく

黒くならないのですが、

年取ると

その反動か


しみそばかすが

大量に出てくるのですが

でもそんな現象をみなさん気にしないのだそうです。


ペトシーンタワーはパリのエッフェル塔意識して

作られたそうですが、

この旅の最終地フランスで

昼と夜と二回上ってきましたので

順番が来たらブログあげます。





そして前回のプラハ旅行では

閉まっていて入れなかった場所

ペトシーンの丘にあった

天文台に行ってみましたら



開いてました!!


プラハの高台にあるペトシーン公園にある展望台なので

ペトシーン展望台と言う名称かと思いましたら違うのです。

スロバキアの最高紙幣5,000SKに描かれている人物

ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(Milan Rastislav Štefánik)
(1880年 7月 21日) - (1919年 5月 4日) 

の名前が付けられていました。
私はまったく存じ上げていませんでしたが、

シュテファーニクさんの祖国スロバキア(当時はチェコスロバキア)

では
英雄として尊敬される「超有名人」だそうで、

スロバキアの首都ブラティスラバの空港は

「ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク空港」

と冠がつくほどの人物でした。


なにゆえ別々の国になったチェコのペトシーンの丘の展望台の名前になっているのかは、


彼がトマーシュ・マサリク(チェコスロバキア初代大統領)、

エドヴァルド・ベネシュ(チェコスロバキア第2代大統領)

とともに、オーストリア=ハンガリー帝国からチェコスロバキアの

独立を勝ち取る主翼を担った「英雄」だからだそうですが、




なにゆえまた、

そのような軍人さんの名前が

天文台に?

と不思議に思いましたが、


シュテファーニクさんはプラハのカレル大学で哲学と

天文学の博士号を習得した星人学様なのでした。

卒業後はパリに行き、




パリ天文台などで働く一方、モンブランに登って月や火星の観測をおこなうぐらい

天文に造詣が深い人物だからのようです。

人名に因む名を持つ小惑星の一つに

「ミラン・シュテファーニク」がるほどです。

番号3571 
小惑星名「Milanstefanik 」
    日本語読み「ミラン・シュテファーニク」     

確度「A」 源語「チェコ語」
     由来「天文学者名」       提案者/推薦者「A. Mrkos」   




アメジストが壁に埋まってました。

ラグの店でアイテムと交換(女神転生 




[うずまき実験]
ボールを穴の開いた台の上で転がしてください。見どころは穴が一番細くなった部分です。 ボールはまっすぐに穴に落ちてしまうわけではなく、
だんだんスピードを上げながらグルグルと渦をつくりますー。

フィギュアスケートのスピンでは選手が手を体に密着するとスピードが上がりますー。
竜巻も、お風呂の水を抜くときにできる渦も、
そしてブラックホールの周りの渦も同じ原理ですー。













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