今回、新幹線に乗って名古屋くんだりまで行き、レンタカーを借りて、遠路はるばる明治村まで来た一番の理由が、フランク・ロイド・ライト設計の
「帝国ホテル中央玄関」を見ることでした。
1916年、帝国ホテルの支配人林愛作がタリアセン(自宅+工房+建築学校の名称)を訪問し、設計を依頼しました。日本に来る前に設計は完成させて、ライトは2000枚の設計図をたずさえて来日しましたが、完成したホテルは予算の都合などで、大幅な設計変更を重ね、持参したものとは大きく異なるものになったそうです。
隙間から 暖炉の明かりのような暖かい光がこぼれます。
天井に取り付けられているライトデザインの照明です。正六面体の8つの角を切り落として作られた、シンプルかつ明瞭で、これこそがモダンなスタイルなんだろうなと思います。格子状の隙間から天井に光が映し出されていて素敵です。
来日中にライトは自由学園明日館と山邑邸と帝国ホテルを同時進行で手掛けていました。
『迎賓館赤坂離宮』
川崎銀行は、明治13年に設立した銀行で、昭和2年川崎第百銀行、昭和11年第百銀行と改称ののち昭和18年三菱銀行と合併して、川崎信託株式会社になり、戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の一つの財閥解体により,日本信託銀行と改称、1997年の安田信託銀行の経営危機が引き金となり東京三菱銀行の完全子会社化されて、三菱信託銀行に吸収合併され解散しました。
天井に取り付けられているライトデザインの照明です。正六面体の8つの角を切り落として作られた、シンプルかつ明瞭で、これこそがモダンなスタイルなんだろうなと思います。格子状の隙間から天井に光が映し出されていて素敵です。
来日中にライトは自由学園明日館と山邑邸と帝国ホテルを同時進行で手掛けていました。
内閣文庫は、明治6年(1873)赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設された明治政府の中央図書館です。
昭和46年(1971)に国立公文書館が建設されるまで、古文書研究家に広く利用されました。
『迎賓館赤坂離宮』
中では、常設展示で世界のミニチュア建築が、元事務室だった部屋に飾られています。
作った人は東京都在住の藤沢穣さんで、欧米のミニチュアハウスにヒントを得て作り続けてこられた作品を一括ご寄贈されたものの一部が飾られています。
藤沢さんは独特的な方法で製作されていて、カッターナイフや箸など身近な道具を用いて、実際に自分の足で作る建物を訪ね、スケッチや撮影した写真から製作図面を作り、部品を製作して少しずつ組上げられたそうです。試行錯誤の末、着彩しない白いままの作品に独特の雰囲気を感じられたそうです。
大きさは手作りできる範囲の大きさで、縮尺など特に決めていないそうですが、建物のスケール感を十二分に出すために腐心されているとのことです。
明治6年(1873)キリシタン禁教が解かれ、長崎に次々と教会がたてられました。その一つが「大明寺聖パウロ教会堂」です。しかしまだ、設立した明治12年にはキリスト教迫害の影響がまだ残っていたので、外観は普通の農家に見せかけ、教会であることを隠していたそうです。正面の土間や鐘楼は、創建後の増築で、地方の教会は創建の時に全てが完成している訳ではなく、時代を経て少しづつ人々の手が加えられ出来るのだそうです。
(鐘楼は、昭和20年代に増築されました。)
日本橋のシンボルと言われた建物だったそうですが、 昭和61年のビル建て替えで、取り壊され、正面左側角の外壁の部分だけが明治村に 移設されました。
元々は地上3階、地下1階建、間口約38メートル、高さ約20メートルありました。
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