2010年9月20日月曜日

名古屋旅行(5) 明治村´ ´ ´´

5丁目51番地  聖ザビエル天主堂 明治23年(1890)

----------------------------------------------------------------------------------この教会堂は、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890年)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂。フランス人神父の監督の下、本国から取り寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたという貴重な建物です。基本の構造はレンガ造・木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築いており、正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けらています。外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いており、外に透明ガラスを重ねて保護しています
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こんなに大きい白亜のフランスゴシック教会を実際に見るの初めてで、思わず厳粛な欲望を覚えました。

ステンドグラスが差し込む日差しを受け、幻想的な光を礼拝堂にもたらしています。
暗い礼拝堂内に 外光の白い光の彩が広がり、敬虔な心持にいざなわれます。







光の帯の奥、祭壇の上に、フランシスコ・ザビエルの木像が十字架をかかげて立っています。
この天主堂では、年間100組ほどの挙式が行われています。
実写版デビルマンなど映画のロケ地でもあります。

3丁目68番地 芝川又右衛門邸 明治44年(1911)
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芝川又右衛門邸』の所有者である芝川家は屋号を百足(むかで)屋といい、幕末頃から大阪の伏見町で唐物商を営んだ豪商です。明治に入ると当時の主人、初代芝川又右衛門が洋銀の両替商を始めるなどして事業を拡大し、二代目又右衛門が現在の兵庫県西宮市甲東園に果樹園を開き、明治44年、果樹園内に当時新進気鋭の建築家であった武田五一の設計によって建てられた住宅が『芝川又右衛門邸』です。
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阪神・淡路大震災で煙突部分が倒壊し、平成7年に明治村に寄贈された『芝川又右衛門邸』を移築復原し、12年の歳月をかけて平成19年9月22日(土)より一般公開されました。

明治村が建造物を移築復原するのは、平成6年竣工の『大明寺聖パウロ教会堂』以来13年ぶりで、村内の建造物としては64棟目となります。

この部屋は、ダンスホールとしても使われていました。
往年の宝塚スター 乙羽信子 越路吹雪が踊ったそうです。
ダンスで踊り疲れた客人が腰をおろすことができるようベンチが造り付けられています。
明治44年に竣工した芝川邸の設計者は当時関西を中心に活躍し、F.L.ライトに浮世絵を紹介したとされる武田五一です。


このステンドグラスが変わっていて、ガラスをつなぎ合わせている線は暗くても浮かび上がる使用で、夜暗くても、ただの黒い板になることなく、スミレの花が目を楽しませます。



明治村に寄贈後も、予算の問題などから10年近く復元できずにいました。
移築復元にかかった費用は約8千万円で、半分の4千万円は、寄付によるものです。

玄関を入り、ダンスホールの部屋に入る扉の左側の扉に使われているのが、石目ガラスというもので、こっちの筋が入っている方が当時のもので両面デコボコしています。



こちらは復元されたもので片面はツルツルしています。現代では両面凸凹にする技術は無くなってしまったとボランティアのお姉さんが言っていました。



部屋の各所に紐があり、それを引くと部屋の番号が表示される「使用人呼び出し表示板」が台所にあります。

各所にハート型の模様が施されています。
ガイドさん曰く、「この瀟洒な邸宅の目の前には、果樹園が広がっていたので、桃を表したものかも知れませんね 。」とおっしゃっていました。
2階の和室の手すりにもハートマーク。



照明のブラケットにもハートマークです。


浴室の天井にある換気口の飾りが四匹のトンボで、アール・ヌーヴォー様式が取り入られています。

震災で倒壊した2F和室の中の暖炉上部と床のタイルを復原されています。

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