2010年6月7日月曜日

軽井沢旅行、其の伍

島崎藤村、芥川龍之介といった文豪からも愛された、嘉永年間(1624年)創業の『つるや旅館』

『ブランジェ 浅野屋(ASANOYA)』
現在、軽井沢に旧道店、白樺台店、信濃追分店、東京には自由が丘店、松屋銀座店、東京ミッドタウン店と6店舗あります。

『日本キリスト教団 軽井沢教会』
1905年、超教派の「合同教会」として開設、会堂はW.M.ヴォーリズの設計。

『喫茶店、ぱいつぼおる』
ノルウェー直輸入の暖炉“パイツ”に、火を意味する“ボオル”が店名の由来

明治の進取な気分と清新な発想が創った「軽井沢彫」
イギリス公使館付宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショー氏が避暑地として着目して別荘を建てたことで、多くの外国人が次々と西洋建築の別荘を建てました。
 外国人が住まうようになって特に必要とされたものは、日々の食品、そして西洋建築に合った家具や工芸品でした。
 栃木県日光には古くから木工の特産品があり、日光彫と呼ばれる技法が存在していて、1908年(明治41年)、日光彫の職人であった清水兼吉と川崎巳次郎の二人が職人仲間を連れて、彫刻を施した西洋家具の製造を始めたのが最初と言われているそうです。


『旧三笠ホテル』
設計はアメリカで建築設計を学んだ岡田時太郎、又監督・棟梁・施工の全てが日本人の手によって建築されました。
大正4年に開通の、草津軽便鉄道があって軽井沢駅-旧軽井沢駅-三笠駅-鶴留駅-小瀬温泉駅までの10㎞を小型の蒸気機関車が走っていて、三笠駅を下り、500mほど北へ歩いていくと三笠ホテルがありました。1970年(昭和45年)廃業し、現在はそこからさらに70mほど北へ、国指定重要文化財 旧三笠ホテルとして移築保存されて、1983年(昭和58年)から一般公開されています。
新築時には玄関ポーチがあったそうですが、何らかの事情で今はないそうです。残念です。せっかくこんな素晴らしい洋館なのに顔である場所に味のない赤い玄関屋根とは涙そうそうです。

ベルサイユ宮殿は各部屋を渡り歩かないと次の部屋に行けない作りで、位が高くなるにつれて人に触れない部屋割の構成ですが、なんかここもそうで、一階も二階も建物正面向かって左側に共同トイレがあってホテルなのに部屋が仕切られていません。右側の角部屋だけ一番大きくそして非公開になっている、完全な宮殿形態な作りなので、プライベートもあったもんじゃないので、そりゃー潰れるよなって至極納得しました。

国際子ども図書館ではごく一部だけ割れずに残っていた手吹きガラスの窓枠がここではまだ沢山現存しています。



幾何学模様のガラス窓に、建築当初から残る明治のガラスの不均一から眺める避暑地の風景はなんとも贅沢です。

『パイプペンダント』
電気の傘としてしようされているのはこの型と

これの2種類だけで、旧朝香宮邸、東京都庭園美術館のような遊び心がないなとも思ったのですが、当時の日本のガラス技術は低く、これも見よう見まねで職人さんが試行錯誤の上で作られているのだなぁとサントリー美術館 の『和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち』を見ていたのでなんとなく分ります。浅香宮邸は皇籍なだけに当時の最先端な技術で作られた外国物の輸入品なのですから、違いが生まれるのは必然だと分りました。自分の生まれる何十年前の世界の同時代の時と場所での出来事を現代のその場所に訪れ、見てその背景が少しでも理解できたことに自分の面白いと思うもの、趣味って間違ってないよなってあらためて実感できて良かったです。


『フロントロビー』


『キーボックス』
洋式ホテルのため13号室は使われていません。その逆に4、9号室があります。

『 カウチ』
従来からのカウチ(寝いす)を修理、復元。上流階級の貴婦人にこのまれて使われたそうです。

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