ドイツ博物館は可能な限り実物の展示を基本としています。
日本をはじめ,世界各地の科学博物館はここを参考にして建設されたものが多いのです。
ドイツが世界に誇るこのドイツ博物館は、1903年に工学士オスカー・フォン・ミラーによって創立され、1906年にはドイツ皇帝ウィルヘルム2世とバイエルンの摂政ルイポルト公臨席の下、現在のドイツ博物館の建物の落成式が行なわれました。その後、 第一次世界大戦の影響で建物の完成が遅れ、一般公開になったのは1925年のことでした。
科学博物館が登場した頃は、ものをそのまま並べて見せるだけという美術系、自然史系の博物館の展示手法と基本的に同じ手法でした。
これに新しい手法を持込み、科学技術系の博物館を、正に第一世代の博物館として登場させたのがドイッチェ・ミュージアムの創設者・オスカー・フォン・ミュラーです。
これに新しい手法を持込み、科学技術系の博物館を、正に第一世代の博物館として登場させたのがドイッチェ・ミュージアムの創設者・オスカー・フォン・ミュラーです。
ミラーが作り上げた手法は、機械のカットモデル、原理を解説するためのモデル、精密なジオラマによって、その機械が使われている環境を含めて体験装置とする手法、来館者が実際に動かしてみることのできるモデル、実験を含めたデモンストレーションなどがあります。
今、参加型の科学館、参加体験装置ということが盛んにいわれていますが、その原型はすでにミュラーによって作られていたのです。
2階には物理、化学、航空。
ドイッチェ・ミュージアムが開館した当時、体験装置を来館者に触らせる、ということで体験装置の破損が多発し、困り果てた担当者がミュラーに相談したところ、ミュラーはこういったと言われています。
「なに、こわれたらまた直せばいいさ……」
岡本太郎と同じこと言ってます。
本物です
日本と博物館と明らかに違うのは
基本すべてが触りたい放題なのです。
ボーイング707
ルフトハンザの旅客機のコックピットも展示されてました。
日本の航空会社では検討はあっても採用はなかったB707型機。 1958年から就航していたが、当時まだ日本はB29の影響から 『ボーイング』社に良いイメージがなかったという話もあるそうです。
ライト兄弟のライトフライヤー号
10機程度しか生産されなかった貴重な実機のひとつで、
米国の博物館や収集家から譲渡の問い合わせが寄せられているそうですが、
博物館として手放さないそうです。
ライト兄弟は本格的な航空機製造に乗り出し欧州市場に期待していた関係で、
ドイツ人の手に渡ったそうです。
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